南禅寺勅使門・南禅寺見どころ

南禅寺勅使門

●南禅寺勅使門は1956年(昭和31年)6月28日に国の重要文化財に指定されました。
●南禅寺勅使門は慶長年間(1596年~1615年)に御所・日ノ御門(ひのみかど)として建てられ、江戸時代前期の1641年(寛永18年)に第109代・明正天皇が賜って建立されました。かつて南禅寺勅使門は江戸時代初期の1601年(慶長6年)に武将・松井康之(まつい やすゆき)から伏見城松井邸の門を寄進されて建立されたが、日ノ御門を賜ったことから現在の場所に移されて中門になりました。なお南禅寺勅使門はかつて天皇や天皇の勅使の来山の際に使われていたが、現在は住持の就任の際に使われています。
第109代・明正天皇は江戸時代前期の1624年(元和9年)1月9日に第108代・後水尾天皇と皇后(中宮)・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ)の第2皇女として生まれました。1629年(寛永6年)10月29日に7歳で内親王宣下を受け、興子内親王(おきこないしんのう)の名を与えられ、同年11月8日に父である第108代・後水尾天皇が譲位し、第109代・明正天皇になりました。第108代・後水尾天皇が紫衣事件(しえじけん)が起こったり、江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の乳母・春日局(かすがのつぼね)が無官のまま参内したりしたことに憤って譲位し、奈良時代の第48代・称徳天皇(第46代・孝謙天皇)以来859年振りに女性天皇が誕生しました。ただ後水尾上皇が院政を行いました。1642年(寛永19年)9月に異母弟で、後水尾上皇の第4皇子・素鵞宮(第110代・後光明天皇)が東福門院の養子になり、翌1643年(寛永20年)に21歳で素鵞宮(第110代・後光明天皇)に譲位し、明正上皇になりました。以後54年間を仙洞御所(せんとうごしょ)で暮らしました。なお第109代・明正天皇は1696年(元禄9年)12月4日に崩御しました。
一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。ちなみに使者は上皇の場合に院使(いんし)、皇后の場合に皇后宮使(こうごうぐうし)、中宮の場合に中宮使(ちゅうぐうし)、皇太后の場合に皇太后宮使(こうたいごうぐうし)、女院の場合に女院使(にょいんし)と言われます。
●南禅寺勅使門は四脚門で、切妻造(きりづまづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
南禅寺見どころ

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