南禅寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

南禅寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
南禅寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには大方丈と小方丈に分かれる方丈(国宝)、京都三大門に数えられる三門(重要文化財)、琵琶湖疏水が流れる水路閣(史跡)などがあります。また法堂・方丈庭園・本坊なども見逃せません。
【大方丈・小方丈に分かれる方丈(国宝)の見どころ解説】
★方丈は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。方丈は大方丈と小方丈に分かれています。大方丈は女院御所の対面御殿を前身としています。大方丈には仏間(内陣)・御昼の間・鳴滝の間・麝香(じゃこう)の間・鶴の間・西の間・柳の間・六畳・狭屋(さや)の間・広縁(ひろえん)があり、仏間以外に狩野派(かのうは)の絵師が描いた障壁画(重要文化財)があります。ただ障壁画は対面御殿を移築した際に配置・構成が大幅に変更されたそうです。小方丈には虎の間・三室(九畳・六畳・二十畳)・広縁があり、虎の間に絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が描いたと言われる群虎図があります。
★大方丈の歴史は天正年間(1573年~1593年)に関白・豊臣秀吉が女院御所の対面御殿として造営し、慶長年間(1596年~1615年)の御所建て替えの際に賜り、1611年(慶長16年)に移築されました。小方丈は寛永年間(1624年~1645年)に建立されました。
★大方丈の建築様式は屋根が入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。大方丈の欄間(らんま)の彫刻は左甚五郎(ひだりじんごろ)作とされています。小方丈は屋根が切妻造(きりづまづくり)のこけら葺です。
★大方丈は寺伝によると御所の清涼殿(せいりょうでん)が移築されたとされています。清涼殿は平安時代(794年~1185年)中期に天皇の御殿とされ、日常の政務や四方拝(しほうはい)・叙位(じょい)・除目(じもく)などの行事が行われるようになりました。小方丈は豊臣秀吉が築城した伏見城の遺構とも、寛永年間(1624年~1645年)に建てられた伏見城の小書院とも言われています。
【京都三大門に数えられる三門(重要文化財)の見どころ解説】
★三門は方丈に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。写真映えして人気もあります。三門は高さ約22メートルで、「天下竜門(てんかのりゅうもん)」と言われ、2階が五鳳楼(ごほうろう)と言われています。2階に宝冠釈迦(ほうかんしゃか)坐像・月蓋長者(がっかいちょうじゃ)像・善財童士(ぜんざいどうじ)像・十六羅漢(じゅうろくらかん)像を安置しています。また本光国師(ほんこうこくし)像・徳川家康像・藤堂高虎像と一門の重臣の位牌(いはい)なども安置しています。2階の天井に狩野探幽・土佐徳悦が描いた極彩色の鳳凰(ほうおう)・天人(てんにん)図もあります。
★三門の歴史は1628年(寛永5年)に藤堂高虎(とうどうたかとら)が金地院崇伝(こんちいんすうでん)の勧めによって寄進し、1615年(元和元年)の大坂夏の陣で戦死した一門の武士の冥福を祈る為に建立されました。なお三門は1295年(永仁3年)に西園寺実兼(さいおんじさねかね)の寄進によって建立され、応安年間(1368年~1375年)に改築されたが、1447年(文安4年)に火災で焼失しました。
★三門の建築様式は五間三戸二階二重門(ごけんさんこにかいにじゅうもん)で、両側に山廊(さんろう)があります。屋根が入母屋造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。山廊は屋根が切妻造の本瓦葺です。
★三門は知恩院(ちおんいん)の三門・東本願寺(ひがしほんがんじ)の御影堂門(ごえいどうもん)とともに京都三大門と言われています。また三門は日本三大門にも数えられています。
★三門は歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんの きり)」で、桃山時代(1583年~1603年)の盗賊・石川五右衛門(いしかわごえもん)が「絶景かな、絶景かな。・・・」と見得を切る「南禅寺山門の場」とされています。ただ三門は石川五右衛門の死後(1594年(文禄3年))、30年以上経ってから建立されました。
【琵琶湖疏水が流れる水路閣(国宝・史跡)の見どころ解説】
★水路閣(すいろかく)は修学旅行・観光で見る価値があります。水路閣は境内の南東に位置し、拝観エリア外にあり、時間を気にすることなく眺めることができます。水路閣は琵琶湖疏水(びわこそすい)の第一疏水分線が流れ、かつて亀山天皇陵前桟橋(かめやまてんのうりょうまえさんばし)・南禅寺桟橋と言われていたそうです。なお水路閣はドラマ・映画などのロケ地としてよく知られています。
★水路閣の歴史は1888年(明治21年)に京都府御用掛で、土木技術者・田辺朔郎(たなべさくろう)が設計して建設されました。
★水路閣の様式は花崗岩(かこうがん)と煉瓦造(れんがづくり)です。水路閣は延長約93.1メートル・幅約4.06メートル・水路直径約2.4メートルで、最も高い場所が約13メートルあります。水路閣には2基の橋台・13基のアーチ型の橋脚があります。
【御所の日ノ御門が移築された勅使門(重要文化財)の見どころ解説】
★勅使門は虹梁(こうりょう)などに龍・麒麟(きりん)・孔雀(くじゃく)・松・牡丹(ぼたん)・雲・波などの透かし彫りが施されています。
★勅使門の歴史は慶長年間(1596年~1615年)に御所の日ノ御門(ひのみかど)として造営され、1641年(寛永18年)に第109代・明正天皇(めいしょうてんのう)から賜って移築されました。
★勅使門の建築様式は屋根が切妻造の檜皮葺(ひわだぶき)です。
★勅使門は天皇や勅使(ちょくし)の来山の際に限って開かれました。ただ現在は住持(じゅうじ・住職)の就任の際に開かれます。
【雲龍図「幡龍」が描かれている法堂の見どころ解説】
★法堂は南禅寺の本堂で、本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)、右に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、左に普賢菩薩(ふげんぼさつ)を安置しています。天井に日本画家・今尾景年(いまおけいねん)が描いた雲龍図「幡龍(ばんりゅう)」があります。法堂では法式行事や法要が行われるが、通常入堂できず、外側から雲龍図の一部が見る場合があります。
★法堂の歴史は1893年(明治26年)に火災で焼失し、1909年(明治42年)に再建されました。1990年(平成2年)に大明国師700年大遠忌(だいおんき)の記念行事として、屋根の葺き替え工事・敷瓦取り替え工事が行われました。なお法堂は南禅寺創建時に創建されたが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で焼失し、1479年(文明11年)頃に再建され、1606年(慶長11年)に関白・豊臣秀吉の子・秀頼の寄進によって大改築されました。
★法堂の建築様式は屋根が入母屋造の本瓦葺で、二階建てに見える一重もこし(裳階)付きです。
★雲龍図「幡龍」は明治から大正に活躍した京都画壇・四条派(しじょうは)の日本画家・今尾景年が描き、今尾景年畢生(一生涯)の大作と言われているそうです。
【小堀遠州作庭の方丈庭園「虎の子渡しの庭」(名勝)の見どころ解説】
★方丈庭園「虎の子渡しの庭」は見逃せません。方丈庭園は大方丈の南にあり、築地塀に囲まれた面積約120坪の枯山水式の名園です。方丈庭園は江戸時代(1603年~1868年)を代表する作庭家・小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭し、水墨画の世界が表現されています。江戸時代初期を代表する枯山水式庭園と言われています。
★方丈庭園の歴史は1611年(慶長16年)頃に小堀遠州が作庭したと言われています。
★「虎の子渡しの庭」の名称は中国の説話「癸辛雑識」にある母虎が子を連れて渓流を渡ることに由来しています。
【小方丈庭園「如心庭」の見どころ解説】
★小方丈庭園「如心庭(にょしんてい)」は白砂に「心」の字形に石を配置した枯山水庭園です。
★小方丈庭園の歴史は1966年(昭和41年)に南禅寺管長・柴山全慶(しばやまぜんけい)が「心を表現せよ」と指示して作庭されました。柴山全慶は花園大学・大谷大学で教授を歴任しました。
【六道輪廻の戒めを表現した庭園「六道庭」の見どころ解説】
★庭園「六道庭(ろくどうてい)」は六道輪廻(ろくどうりんね)の戒めを表現した庭園です。六道輪廻は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の6つの世界を人間が何度も生まれ変わり、彷徨い続けるという仏教の世界観を表しているそうです。六道庭は苔の中に石が配置されています。
★庭園の歴史は1967年(昭和42年)に作庭されました。
【本来台所で、寺務所である本坊の見どころ解説】
★本坊(庫裏)は本来台所だが、寺務所としても使われています。本坊は天井のない吹き抜けになっています。本坊は韋駄尊天(いだそんてん)を安置しています。本坊の滝の間では清涼の滝を眺めながら抹茶(有料)を味わこともできるそうです。なお本坊では御朱印を授与しています。(要確認)
★本坊には大玄関があり、特別な行事の際に限って使われます。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
南禅寺見どころ(放生池・桜・紅葉など)
【南禅寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・南禅寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ














