南禅寺小方丈庭園・南禅寺見どころ

南禅寺小方丈庭園

●南禅寺小方丈庭園は1966年(昭和41年)に管長・柴山全慶(しばやまぜんけい)が「心を表現せよ」と自ら熱心に指示・指導し、小方丈(国宝)前に植彌加藤造園が作庭されました。小方丈庭園は白砂に「心」の字形に石を配置した枯山水庭園です。なお南禅寺小方丈庭園は如心庭(にょしんてい)と言われています。
柴山全慶は1894年(明治37年)11月30日に柴山悦太郎の次男として愛知県葉栗郡浅井町に生まれました。1905年(明治38年)に愛知県稲沢市の国分寺で服部全冷和尚のもとで出家得度し、1908年(明治41年)に叔父・倉地円照が住職をしていた京都北野の萬松寺に入り、翌1909年(明治42年)に禅門高等学院(花園大学)に入学しました。1914年(大正3年)に師匠の反対を押し切って関西学院高等部英文科に進学したが、僅か半年で胸を患って退学し、南紀白浜で療養し、約1年半後に京都に戻りました。1916年(大正5年)から1923年(大正12年)まで南禅僧堂で修業し、1923年(大正12年)に河野霧海の特命で荒廃していた南禅寺の塔頭・慈氏院を復興する為に慈氏院の住職になりました。1948年(昭和23年)に南禅僧堂師家になるまでの25年間に仏教以外に英語・エスペラント語などを学び、大学の聴講生になりました。1937年(昭和12年)から禅門高等学院の教授になり、1940年(昭和15年)に大谷大学の教授になり、1944年(昭和19年)に臨済宗南禅寺派宗務総長になりました。1945年(昭和20年)に法兄・華山大義が珠丸(たままる)事故で亡くなり、1948年(昭和23年)に南禅僧堂師家になる為に慈氏院を退きました。1959年(昭和34年)に臨済宗南禅寺派管長になり、1960年(昭和35年)に花園大学・大谷大学の教職を退き、1967年(昭和42年)に僧堂師家を法嗣・勝平宗徹に譲って管長職に専念しました。1965年(昭和40年)から毎年アメリカの大学で禅講座を8年間行いました。なお柴山全慶は1974年(昭和49年) 8月29日に亡くなりました。
枯山水は池や遣水(やりみず)などの水を用いず、地形や石・砂礫(されき)などで山水の風景を表現する庭園様式です。枯山水は水がない庭で、石で滝、白砂で水などを表現する石組みを主体とし、植物が用いられてもごく僅かです。枯山水は中国の庭園や中国の宋(そう)・明(みん)の山水画(破墨山水(はぼくさんすい))などの影響を受け、南北朝時代(1336年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に禅宗寺院を中心に発達しました。禅宗寺院では方丈前庭などに多く作庭されました。枯山水は最初実景の写実的な模写が多かったが、次第に象徴化・抽象化が進み、石の配列による空間構成の美が重視されるようになった。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。
小方丈は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)に建立されました。小方丈には虎の間と3室(九畳・六畳・二十畳)があります。小方丈は前面が大方丈に接続し、背面切妻造(きりづまづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
南禅寺見どころ

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