西光寺・光明寺念仏行脚2027年1月24日(法然上人)
西光寺・光明寺念仏行脚(日程・アクセス・概要)
西光寺・光明寺念仏行脚(日程時間など)を紹介しています。念仏行脚は例年1月24日に行われます。念仏行脚では嘉禄の法難に因んで行われる行事です。念仏行脚では墨染めの衣と灰色の袈裟で過した法然上人に倣い、黒衣の僧侶が西光寺から光明寺までの約15キロを歩き、法然上人の教えを守り続けてきた先人の艱難辛苦を心に刻みます。(詳細下記参照)
【西光寺・光明寺念仏行脚2027 日程時間(要確認)】
西光寺・光明寺念仏行脚2027は2027年(令和9年)1月24日(日曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは17:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・光明寺ホームページ
【西光寺・光明寺念仏行脚 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区太秦多藪町30
最寄り駅・バス停・・・太秦開町(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは72系統(C6乗り場)、73系統(C6乗り場)、75系統(C6乗り場)
*四条河原町からは61系統、62系統、63系統
京都バス・アクセスダイヤ
【念仏行脚・光明寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
最寄り駅・バス停・・・旭が丘ホーム前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・長岡天神駅からは22系統
*JR・長岡京駅からは20系統、22系統
阪急バス・アクセスダイヤ
【西光寺・光明寺念仏行脚 歴史・簡単概要】
西光寺・光明寺念仏行脚(ねんぶつあんぎゃ)では嘉禄の法難(かろくのほうなん)に因んで行われる行事です。嘉禄の法難は1227年(嘉禄3年)に比叡山延暦寺の圧力により、隆寛・幸西・空阿が流罪になり、法然上人の廟所が破壊されました。信空・覚阿などが法然上人の遺骸を嵯峨・二尊院に移し、次に証空が円空の来迎院(太秦・広隆寺)に移し、更に幸阿の光明寺(念仏三昧院)に移し、翌1228年(安貞2年)1月25日に信空・覚阿・証空・円空・幸阿などが見守る中、法然上人の遺骸は荼毘に付され、遺骨は知恩院などに分骨されました。なお法然上人の亡骸は二尊院から広隆寺から運ばれたが、念仏行脚では西光寺から光明寺まで歩きます。
念仏行脚では墨染めの衣と灰色の袈裟で過した法然上人に倣い、黒衣の僧侶が西光寺から光明寺までの約15キロを歩き、法然上人の教えを守り続けてきた先人の艱難辛苦(かんなんしんく)を心に刻みます。ちなみに西光寺から光明寺までは約4時間ほど掛かるそうです。なお念仏行脚には一般の方も参加することができるそうです。
法然上人は平安時代末期から鎌倉時代初期の僧です。法然上人は1133年(長承2年)4月7日(新暦の5月13日)に美作国(岡山)に生まれ、1147年(久安3年)に皇円の下で得度し、1175年(承安5年)に浄土宗を開祖し、1212年(建暦2年)1月25日(新暦の2月29日)に亡くなったと言われています。法然上人は阿弥陀仏を信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、死後は善悪を問わずに平等に往生できるという口称念仏・専修念仏を説きました。
【西光寺 歴史・簡単概要】
西光寺は鎌倉時代(1185年~1333年)に浄土宗の宗祖・法然上人の弟子・来迎坊円空の広隆寺住坊が起源と言われています。1227年(嘉禄3年)に延暦寺の衆徒が浄土宗と専修念仏を弾圧する嘉禄の法難が起こり、法然上人の墓を暴いて遺骸を鴨川に流すようにと訴えました。信空・覚阿などの法然上人の遺弟が遺骸を掘り出し、二尊院に移しました。しかし遺骸を移したことが追手に知られ、密かに西光寺に移し、来迎坊円空が遺骸を約7ヶ月間安置して守りました。法然上人の石棺から数条の光明が放たれ、粟生野の光明寺を照らしたことから遺骸を光明寺に移して荼毘(火葬)に伏されました。遺骨は光明寺の御本廟に奉安され、その上に石塔を建てて廟堂が建立されました。また遺骨は知恩院など各地に分骨されました。鎌倉時代以降に廃絶したと言われ、文化年間(1804年~1818年)に再興されました。
*参考・・・西光寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【光明寺 歴史・簡単概要】
光明寺(こうみょうじ)は1198年(建久9年)浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子で、源平の戦いで有名な蓮生(れんせい)・熊谷直実(くまがいなおざね)が念仏三昧堂を建立したのが起源です。1212年(建暦2年)法然上人が亡くなり、1228年(安貞2年)に遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられました。法然上人の石棺からは数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らしたとも言われ、そのことを聞いた四条天皇から「光明寺」の勅額を賜り、名称を念仏三昧院に改めました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などの兵火によって度々焼失したり、荒廃したりしたが、1656年(明暦2年)に本廟が再建されました。
光明寺は西山浄土宗の総本山です。
*参考・・・光明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【西光寺・光明寺念仏行脚 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西光寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
光明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報



















