二条城土蔵・二条城見どころ(修学旅行)

●二条城土蔵は1939年(昭和14年)10月28日に国の重要文化財に指定されました。
●二条城土蔵は二の丸御殿の北側・内堀の北西角・内堀の南西角に3棟だけ残されています。二条城土蔵はいずれも慶長年間(1596年~1615年)に造られ、寛永年間(1624年~1645年)に改修されたとも言われています。また二条城土蔵は寛永年間(1624年~1645年)に造られたとも言われています。二条城土蔵にはかつて幕府直轄領から納められた年貢米(ねんぐまい)を貯蔵する米蔵(こめぐら)でした。なお全国の城郭の中で、土蔵が残されているのは二条城だけと言われています。
米蔵は米を貯蔵する倉庫です。
年貢米は農民が課された租税を米で納めるものです。江戸時代前期は田を視察し、その年の収穫量を見込んで年貢率を決定する検見法(けみほう)だったが、江戸時代中期の享保の改革の頃から豊作・不作に関わらず、一定の年貢率による定免法(じょうめんほう)が採用されるようになりました。年貢率には五公五民・六公四民などがありました。五公五民は領主・農民ともに収穫量の5割になります。
●二条城土蔵はいずれも土蔵造(どぞうづくり)で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。なお二の丸御殿の北側の土蔵は門番所付きです。
土蔵造では柱などの木部の外側を土壁で覆い、白土または漆喰(しつくい)で上塗りした建築法です。土蔵造は耐火構造で、江戸時代に火災が多かった江戸や大坂の町屋で奨励され、江戸時代前期の1657年(明暦3年)の明暦の大火(めいれきのたいか)後に御触書(おふれがき)が出されました。明暦の大火は3日間に及び、江戸城の天守など市街地の大半を焼失させ、江戸時代最大の火災とも言われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
二条城見どころ

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