二条城石垣・二条城見どころ

二条城石垣

●二条城石垣は江戸時代前期の1626年(寛永3年)頃に現在の姿に整備されたと言われています。江戸時代初期の1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が京都御所の守護・将軍の宿泊所として二条城の築城を開始し、1603年(慶長8年)に本丸御殿(二の丸御殿)が完成しました。1624年(寛永元年)に江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が第108代・後水尾天皇の二条城への行幸を迎える為に二条城の大改築を開始しました。ちなみに第108代・後水尾天皇の行幸は1626年(寛永3年)10月25日から5日間に渡って行われ、舞楽・能楽・乗馬・蹴鞠・和歌の会などが行われました。なお二条城石垣は江戸時代前期の1662年(寛文2年)6月16日の寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)や江戸時代後期の1830年(文政13年)8月19日の京都地震(きょうとじしん)の被害を受けたと言われています。
寛文近江・若狭地震は近畿地方北部を震源地とするM7.5程度の地震で、最大震度が7だったと言われています。寛文近江・若狭地震は近江国・若狭国で地震動が強かったが、京都盆地北部で被害が多かったことから寛文京都地震とも言われています。「厳有院実紀(げんゆういんじっき)」には二条城の各所が破損し、禁裡院が無事であることが記され、「元延実録(げんえんじつろく)」には愛宕神社(あたごじんじゃ)・岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・知恩院(ちおいん)などが被害を受けたことが記されています。
京都地震は京都府亀岡市付近を震源地とするM6.5前後の地震です。京都地震は直下型地震で、京都市街を中心に大きな被害がありました。京都地震では二条城や御所で石垣や塀が崩れ、町衆の土蔵に被害が集中したと言われています。二条城は旧池沼地に造営されたことから軟弱地盤で、石垣が崩壊し、櫓・門・土塀が倒壊しました。ただ二ノ丸御殿は部分的な損壊だったと言われています。
●二条城石垣は戦国時代から安土桃山時代によく見られる自然石をそのまま積んだ野面積み(のづらづみ)と江戸時代によく見られる切った石を隙間なく積み上げた切込み接ぎ(きりこみはぎ)で構成されています。
野面積みは自然石を加工せずにそのまま積み上げる方法です。野面積みは積み上げただけで、石同士がかみ合っていません。野面積みは鎌倉時代末期に現れ、戦国時代以降に本格的に用いされました。
切込み接ぎは方形に加工した石材を密着して積み上げる方法です。江戸時代初期の1600年(慶長5年)以降に隅石から用いられるようになり、徐々に平石でも用いられるようになりました。元和年間(1615年~1624年以降に多用されるようになりました。
二条城見どころ

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