二条城香雲亭・二条城見どころ

二条城香雲亭

●二条城香雲亭は和楽庵とともに高瀬川一之船入(いちのふないり)にあった旧・角倉了以(すみのくらりょうい)屋敷から庭石とともに清流園(せいりゅうえん)に移されました。なお二条城香雲亭は通常非公開だが、夏季・冬季に期間限定で食事の提供を行ったり、結婚式の挙式場として使用されたりしています。
角倉了以は戦国時代(室町時代後期)の1554年(天文23年)に京都嵯峨の土倉業・吉田宗桂(よしだそうけい)の長男として生まれました。1592年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から朱印状を得て、朱印船をベトナム(安南)に派遣し貿易を行いました。また私財を投じて大堰川(おおいがわ・桂川(かつらがわ))・高瀬川(たかせがわ)を開削し、江戸幕府の命によって富士川(ふじがわ)・天竜川(てんりゅうがわ)・庄内川(しょうないがわ)なども開削しました。角倉了以は琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎(たなべさくろう)とともに「水運の父」とも言われています。なお角倉家は公儀呉服師・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)の茶屋家と金座の当主・後藤庄三郎(ごとうしょうざぶろう)の後藤家とともに「京の三長者」とも言われています。
一之船入は江戸時代に高瀬川を使って輸送される荷物の上げ下ろしや船の方向転換をする為に造られました。一之船入は奥行約133.5メートル・幅約16メートルで、三方から荷物の上げ下ろしができました。一之船入は1934年(昭和9年)1月22日に国の史跡に指定されました。なお高瀬川では当初二条から四条に船入が7か所造られましたが、17世紀末に9か所に増えました。
●二条城香雲亭は寄棟造(よせむねづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)・銅板葺(どうばんぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
二条城見どころ

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