二条城清流園・二条城見どころ

二条城清流園

●二条城清流園は1965年(昭和40年)に完成しました。二条城清流園は東半分が洋風庭園、西半分が池泉回遊式山水園(和風庭園)からなる和洋折衷庭園です。二条城清流園は造園家・中根金作(なかねきんさく)らが中心になって設計しました。なお清流園の名称は市長・高山義三(たかやまよしぞう)が名付けました。
清流園があった場所にはかつて江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の命によって造営が開始され、1606年(慶長11年)に完成した天守閣の一部などがありました。1624年(寛永元年)に江戸幕府第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が第108代・後水尾天皇の二条城への行幸を迎える為に二条城の大改築を開始し、天守閣は山城国久世郡淀(京都市伏見区淀本町)の淀城(よどじょう)に移築されて更地になりました。その後江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)以降に城内警固と管理にあたった在番衆(ざいばんしゅう)の住居が建設され、1788年(天明8年)の天明の大火に見舞われたとも言われるが、幕末(江戸時代末期)まで住居がありました。明治時代前期に住居が撤去され、緑地に整備されたとも言われています。1915年(大正4年)に第123代・大正天皇の即位式饗宴の儀(きょうえんのぎ)の会場になり、饗宴施設などが増築されたが、翌1916年(大正5年)からの城内復旧工事によって饗宴施設の一部が岡崎桜の馬場に移築され、造園家・小川治兵衛(おがわじへえ)が跡地を疎林式庭園に整備しました。太平洋戦争後の1950年(昭和25年)に進駐軍のテニスコートになり、1965年(昭和40年)に清流園が整備されました。清流園の整備には河原町二条にあった旧・角倉了以(すみのくらりょうい)の屋敷の一部(和楽庵(わらくあん)・香雲亭(こううんてい))や庭石・庭木などが無償で譲渡され、全国から集めた銘石・篤志家から寄贈を受けたものなどが使われました。ちなみに和楽庵は関白・豊臣秀吉が名残の月を眺めたことから名付けられた残月亭を模した茶室を表千家から寄贈されて増築したものです。
角倉了以は1554年(天文23年)に京都嵯峨の土倉業・吉田宗桂(よしだそうけい)の長男として生まれました。1592年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から朱印状を得て、朱印船をベトナム(安南)に派遣し貿易を行いました。また私財を投じて大堰川(おおいがわ・桂川)・高瀬川(たかせがわ)を開削し、江戸幕府の命によって富士川(ふじがわ)・天竜川(てんりゅうがわ)・庄内川(しょうないがわ)なども開削しました。角倉了以は琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎(たなべさくろう)とともに「水運の父」とも言われています。なお角倉家は公儀呉服師・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)の茶屋家と金座の当主・後藤庄三郎(ごとうしょうざぶろう)の後藤家とともに「京の三長者」とも言われています。
二条城見どころ

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