二条城・平野神社桜散策コース(北野天満宮・神泉苑・・・)

二条城・平野神社桜散策コース
二条城・平野神社桜散策コースは世界遺産である二条城と京都を代表する桜名所である平野神社周辺の桜名所を散策するコースです。二条城では様々なイベントが行われ、桜シーズンに観桜茶会・ライトアップを行っています。平野神社では早咲きから遅咲きまでの約50種・約400本の桜の木が植えられ、桜花祭・ライトアップを行っています。二条城・平野神社桜散策コース周辺には神泉苑・上七軒・東向観音寺・北野天満宮などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。上七軒では花街の風情を感じることができます。
【二条城・平野神社桜散策コース】
【桜の見頃(例年)】
●2025年3月20日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月25日に開花、3月31日に満開になると予想しました。(順次情報更新中)
二条城・・・4月上旬頃
神泉苑・・・4月上旬~4月中旬頃
北野天満宮・・・4月上旬~4月中旬頃
平野神社・・・4月上旬頃
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【二条城(にじょうじょう) 概要】
二条城では染井吉野・枝垂桜・山桜・普賢象・鬱金など約50種・約380本の桜の木が分布し、園の里桜や清流園の枝垂桜などが見どころです。ライトアップを行うことがあります。二条城は平安時代に禁苑(宮中の庭)だった神泉苑の一部でした。1601年(慶長6年)に徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)に本丸御殿(二の丸御殿)が完成しました。1624年(寛永元年)に徳川家光が後水尾天皇の行幸の際に大規模な改修・増築を行い、1626年(寛永3年)に後水尾天皇と中宮・東福門院が5日間滞在しました。1750年(寛延3年)に雷火で五層の天守が焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で本丸などが焼失しました。
二条城桜見ごろ・二条城桜ライトアップ
【神泉苑(しんせんえん) 概要】
神泉苑は境内に染井吉野・枝垂桜などの桜の木が植えられ、桜と境内の法成就池(ほうじょうじゅいけ)・朱塗りの法成橋(ほうじょうばし)などの光景が美しいと言われています。神泉苑は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、大内裏の南に接する場所に造営された禁苑(宮中の庭)でした。禁苑は大池・泉・小川・小山・森林などを取り込んで造られ、乾臨閣・右閣・左閣・西釣台・東釣台・滝殿・後殿などの宮殿が造営されました。863年(貞観5年)に疫病が流行し、疫病を鎮める御霊会が行われました。869年(貞観11年)にも御霊会が祇園祭の起源と言われています。その後荒廃し、1603年(慶長8年)に徳川家康が二条城を築城した際、敷地の大部分が二条城に組み入れられ、規模が減少しました。1788年(天明8年)に天明の大火で伽藍が焼失しました。
神泉苑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【上七軒(かみしちけん) 概要】
上七軒は室町時代に北野天満宮が再建された際、残った資材を使って天満宮の東門前の松原に7軒の茶店が建てられたのが起源です。当初、七軒茶屋と称していたそうです。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が北野天満宮で北野大茶湯を開いた際、茶店が団子を献上しました。その褒美にみたらし団子を商う特権と法会茶屋株を公許されました。江戸時代に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展しました。
上七軒(アクセス・見どころ・・・
【東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ) 概要】
東向観音寺は806年(大同元年)に藤原小黒麿・賢璟法師が桓武天皇の勅により、王城鎮護の為に創建しました。当初、朝日寺と言いました。947年(天暦元年)に朝日寺の僧・最珍らが菅原道真を祀った北野天満宮を建立し、961年(応和元年)に菅原道真作の十一面観世音菩薩を筑紫観世音寺から勧請して安置しました。1311年(応長元年)に無人如導宗師が再興し、名称を観音寺に改めました。
東向観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【北野天満宮(きたのてんまんぐう) 概要】
北野天満宮では枝垂桜・北野桜などが分布しています。北野桜は社務所前に植えられています。北野天満宮は947年(天暦元年)に多治比文子、近江比良宮の神主・神良種、北野朝日寺の僧・最珍らが神殿を建立し、菅原道真を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に道真が大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)に神良種の子・太郎丸にも託宣があったと言われています。その後道真の左遷の原因になった藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜りました。しかし1444年(文安元年)に文安の麹騒動で室町幕府の攻撃で焼失して衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が北野大茶会を催し、1607年(慶長12年)に秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを建立しました。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【平野神社(ひらのじんじゃ) 概要】
平野神社では桜苑や境内に魁・平野寝覚・胡蝶・嵐山・虎の尾など約50種・約400本の桜の木が分布し、多品種の桜が咲き誇る姿が見どころです。平野神社は古くからの桜名所で、江戸時代に「平野の夜桜」とも謳われました。ライトアップを行うことがあります。平野神社は「続日本紀」に記され、782年(延暦元年)には平城宮の宮中に祀られていました。その後794年(延暦13年)の平安京遷都とともに三神(今木神・久度神・古開神)が移されたのが起源と言われています。981年(天元4年)に円融天皇が行幸し、その後皇太子守護の神社として、祭礼・平野祭では皇太子が自ら奉幣を行いました。その後応仁の乱や1536年(天文5年)の天文法華の乱で焼失し、寛永年間に西洞院時慶が後陽成天皇の勅許によって修造し、1650年(慶安3年)に後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川和子)が拝殿などを再建しました。
平野神社桜見ごろ・平野神社桜ライトアップ
【二条城・平野神社桜散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
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