ロシア皇帝・ニコライ2世と五山送り火
ロシア皇帝・ニコライ2世と五山送り火
五山送り火(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1891年(明治24年)には皇太子時代のロシア皇帝・ニコライ2世の歓迎行事の一環として、五山送り火が点火されました。1905年(明治38年)にはロシア帝国と戦って勝利した日露戦争の終結を祝って、大文字が点火されました。
【五山送り火2026 日程】
五山送り火2026は2026年(令和8年)8月16日(日曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2026(鑑賞スポット・穴場・日程・・・)
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。
【ロシア皇帝・ニコライ2世】
五山送り火(大文字(だいもんじ)・妙法(みょうほう・松ケ崎妙法)・船形(ふながた・船形万灯籠)・左大文字(ひだりだいもんじ)・鳥居形(とりいがた・鳥居形松明))は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1891年(明治24年)には皇太子時代のロシア皇帝・ニコライ2世の歓迎行事の一環として、五山送り火が点火されました。ちなみに1905年(明治38年)にはニコライ2世が統治するロシア帝国と戦って勝利した日露戦争の終結を祝って、大文字が点火されました。
「日出新聞」1891年(明治24年)5月9日の記事に「五山の點火(てんか)」などと記され、ニコライ2世の入洛を祝って、五山送り火(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)が点火されたことが分かります。同年4月27日にニコライ2世が乗船したロシア軍艦が長崎に寄港し、国賓待遇で迎えて歓迎式典が行われました。イギリスに留学し、海外通の有栖川宮威仁親王が接待係に任命され、万里小路正秀が通訳を務めました。その後鹿児島を経て、5月9日に神戸に寄港し、汽車で京都に向かいました。京都では五山送り火が点火されるだけでなく、街灯や家々の提灯に明かりが灯され、通りに見物人が集まり、入洛を盛大に歓迎しました。5月10日に大宮御所・京都御所・二条城(二条離宮)・東本願寺・西本願寺・上賀茂神社などを訪問し、上賀茂神社の賀茂競馬(かもくらべうま)や飛鳥井家の蹴鞠(けまり)を見物しました。神戸市長から楠木正成(くすのきまさしげ)の話を聞き、その忠義に感動し、京都博覧会場で楠木正成の絵を購入しました。5月11日に大津に入り、警察官に襲われる大津事件に見舞われました。5月13日に神戸に移り、5月19日に東京訪問を中止してロシアに帰国しました。
●ニコライ2世は1868年5月18日にアレクサンドル3世とリア・フョードロヴナの間に長男として生まれました。10歳頃からダニーロヴィチ将軍が家庭教師になり、将軍が選んだ語学・数学・歴史・科学などを学びました。ロシア語だけでなく、フランス語・英語・ドイツ語を流暢に話しました。1879年に弟・ゲオルギーとともに中学校に入学し、17歳から帝王学として民政法・政治経済学・軍事学などを学びました。民政法を学んだポベドノスツェフの専制君主体制護持の思想に影響を受けたと言われています。19歳でプレオブラジェンスキー近衛連隊に入隊しました。1890年10月から1891年8月に両親の勧めで、弟とともに世界各地を旅行することになりました。従兄弟にあたるギリシャ王・ゲオルギオス1世の次男・ゲオルギオスも同行したが、弟は風邪をこじらせて途中で帰国しました。旅行の最後に日本を訪問し、1891年4月27日にニコライが乗船したロシア軍艦が長崎に寄港し、5月19日まで日本に滞在しました。5月11日に警察官にサーベルで斬り掛かられる大津事件が起こり、父の指示で東京訪問を中止し、5月19日に帰国しました。1895年にヘッセン大公国の大公ルートヴィヒ4世とアリスの末娘・アリックスと結婚しました。同年11月に父が亡くなるとロシア皇帝に即位し、1896年5月に戴冠式を行いました。即位後にロシア経済の近代化に務め、ヨーロッパとの友好政策を執り、1894年の日清戦争後に三国干渉を行い、中国分割を進めました。ただ1904年からの日露戦争で敗北しました。日露戦争の莫大な戦費などで国内の騒乱が収まらず、1905年10月に十月宣言を発布したが、革命が終息するとストルイピンを用いて革命運動を弾圧しました。1905年11月に皇太子・アレクセイが血友病だったことから怪僧・ラスプーチンを招き、帝政への干渉を許しました。日露戦争敗北後にバルカン半島への進出を企て、1914年に第1次世界大戦に突入すると軍部の反対を押切って自ら戦線を指揮したが、戦況を好転させることはできなかった。 1917年3月に二月革命が起きると退位を余儀なくされ、ボリシェビキが政権を掌握すると1918年にシベリアに幽閉され、その後皇后や5人の子供とともに射殺されました。なおニコライ2世は1918年7月17日に亡くなりました。ロシア帝国最後の皇帝でした。
【ロシア皇帝・ニコライ2世と五山送り火 備考】
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