仁和寺飛濤亭・仁和寺見どころ(修学旅行)

仁和寺飛濤亭

●仁和寺飛濤亭は1937年(昭和12年)7月29日に国の重要文化財に指定されました。
●仁和寺飛濤亭は江戸時代末期(1830年~1867年)に建てられました。仁和寺飛濤亭は仁和寺第28世・深仁法親王の異母兄である第119代・光格天皇遺愛の席と伝えられています。仁和寺飛濤亭は四畳半に台目がついた茶室と水屋の間・勝手の間で構成され、躙口(にじりぐち)の代わりに貴人口があります。
第119代・光格天皇は江戸時代中期の1771年(明和8年)9月23日に閑院宮(かんいんのみや)第2代当主・閑院宮典仁親王(慶光天皇)と女房・大江磐代(おおえいわしろ)の第6皇子として生まれました。1779年(安永8年)12月15日に皇子のない危篤の第118代・後桃園天皇の養子となり、1780年(安永8年)1月1日に9歳で第119代・光格天皇に即位しました。中世以来に絶えた朝儀再興に力を入れ、幕府に働き掛けて古制の復活に努めました。石清水社(石清水八幡宮)と賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の臨時祭を再開させました。また経学を好み、博学能文で知られ、作詩・管弦に長じ、父・閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でした。江戸幕府第11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)に内裏造営の功を賞し、五言古詩を贈りました。父・閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を宣下しようとしたが、江戸幕府に反対され、尊号一件(尊号事件)がその後の尊王思想に影響を与えました。ちなみに1884年(明治17年)に第122代・明治天皇が閑院宮典仁親王に慶光天皇の尊号を贈りました。1817年(文化14年)5月7日に第120代・仁孝天皇に譲位しました。なお第119代・光格天皇は1840年(天保11年)12月11日に崩御しました。
●仁和寺飛濤亭は入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
茅葺はイネ科のススキ・ヨシ(アシ)やカヤツリグサ科のスゲなどで屋根を葺く方法です。茅葺は世界各地で最も原初的な屋根とされ、日本では縄文時代に茅を使った屋根だけの住居(竪穴式住居)が造られていたとも言われています。なお日本最古の茅葺屋根民家は室町時代に建てられた兵庫県神戸市・箱木家住宅(国の重要文化財)です。
仁和寺見どころ

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