仁和寺観音堂・仁和寺見どころ(修学旅行)

仁和寺観音堂は1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定されました。
●仁和寺観音堂は江戸時代前期の1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)に建立されました。仁和寺観音堂には本尊・千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)、脇侍(きょうじ)に不動明王(ふどうみょうおう)・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、その周りに千手観音の眷属(けんぞく)・二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)が安置されています。また仁和寺観音堂は須弥壇(しゅみだん)の背後・壁面・柱などに白衣観音(びゃくえかんのん)や仏・高僧などが極彩色で描かれています。
一般的に観音堂は観音菩薩を祀る仏塔です。観音堂は観音菩薩がインド南端の海岸にある補陀落山(ふだらくせん)に降りたったとされることから海岸や山の懸崖の上などに多くが建立されています。
千手観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
白衣観音は三十三観音の一尊です。白衣観音は観音菩薩の限りない慈悲の心が白処(真っ白な純白の世界)に住むということに由来しています。白衣観音は密教で胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の中の観音院(かんのんいん)に描かれ、観音院の部母とされる女性尊(観音母)です。白衣観音は白衣を着け、左手に蓮華を持って蓮華座に座しています。
●仁和寺観音堂は桁行五間・梁間五間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。仁和寺観音堂は向拝一間です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
仁和寺見どころ

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