仁和寺御影堂中門・仁和寺見どころ(修学旅行)

仁和寺御影堂中門

●仁和寺御影堂中門は1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定されました。
●仁和寺御影堂中門は江戸時代前期の1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)に建立されました。仁和寺御影堂中門は御影堂(重要文化財)前に建立されています。
御影堂江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)に1613年(慶長18年)造営の御所・清涼殿(せいりょうでん)の一部を賜って建立されました。「仁和寺御伝」によると1634年(寛永11年)7月24日に仁和寺第21世・覚深法親王(かくしんほっしんのう)が上洛していた江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)に仁和寺再興を承諾され、慶長年間(1596年~1615年)の御所造替と重なったことから御影堂となる清涼殿(せいりょうでん)などの建物を賜り、1646年(正保3年)に伽藍の再建が完了しました。御影堂は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖・弘法大師(こうぼうだいし)像、仁和寺開基・宇多法皇像、仁和寺第2世・性信親王(しょうしんしんのう)像を安置しています。仁和寺御影堂は約10メートル四方の小堂で、弘法大師・空海が住まう落ち着いた仏堂と言われています。
覚深法親王は1588年(天正16年)5月29日に第107代・後陽成天皇と典侍・中山親子の第1皇子・良仁親王として生まれました。1594年(文禄3年)6月に次期天皇即位を前提として親王宣下を受け、その後将来の東宮御所に正親町上皇(第106代・正親町天皇)の御所を与えられました。しかし1598年(慶長3年)に後ろ盾とも言われる関白・豊臣秀吉が亡くなると第107代・後陽成天皇が良仁親王(覚深法親王)を皇位継承者から外す意向を示し、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に江戸幕府初代将軍・徳川家康が良仁親王を廃し、第107代・後陽成天皇の正室・近衛前子が生んだ第3皇子・政仁親王(第108代・後水尾天皇)が次期天皇に即位することになりました。1601年(慶長6年)4月に仁和寺の院家・真光院に入って得度し、晋海から灌頂を受けました。1614年(慶長19年)に一品に叙せられて法中第一座の宣下を受け、その後仁和寺門跡になりました。
●仁和寺御影堂中門は一間平唐門(ひらからもん)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
一般的に唐門は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根に丸みをつけて造形した唐破風(からはふ)がついた門です。唐門は豪華な彫刻が施されたものは向唐門(むこうからもん)、唐破風が妻にある簡素なものは平唐門(ひららもん)と言われています。唐門は平安時代後期に見られるようになり、桃山時代が隆盛期と言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
仁和寺見どころ

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