仁和寺二王門・仁和寺見どころ

仁和寺二王門

●仁和寺二王門は1931年(昭和6年)1月19日に国の重要文化財に指定されました。
●仁和寺二王門は江戸時代前期の1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)に建立されました。仁和寺二王門には左右に阿吽の二王像、後面に唐獅子(からじし)像を安置します。
一般的に仁王門(二王門)は仏教・寺院を守護し、仁王(におう・二王)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉(やしゃ)を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門(とうもん)に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯(らんじゅん)の一部が発見されました。なお日本では奈良時代(710年~794年)に仁王門の建立が盛んになり、飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士は仏教において天界に住む天部(てんぶ)で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)などの二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)などがあります。なお二十八部衆は千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)とされています。
金剛力士像(仁王像)は像容が上半身裸形で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としています。金剛力士像は二神一対で、口を開いた阿形は怒りの表情を表し、口を閉じた吽形は怒りを内に秘めた表情を表しているものが多くなっています。一般的に正面から見て右側の像(阿形)は左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持ち、一喝するように口を開け、左側の像(吽形)は右手の指を開き、怒気を帯びて口を結んでいます。なお「阿」はインドで使用されるブラーフミー系文字・梵字(ぼんじ)で口を開いて発する最初の音声で、仏教では物事の始まりを表します。「吽」は梵字で口を閉じて発する最後の音声で、仏教では物事の終わりを表します。
唐獅子は神獣です。唐獅子は仏陀(お釈迦様)一族を守護するインドライオン(スノーライオン)がモチーフとも言われ、インドから中国に伝わると美術的に装飾化・図案化されました。仏陀の座をスノーライオンが支持する様子が絵画・彫刻に見られます。なお日本では桃山時代から盛んになり、屏風(びょうぶ)・衝立(ついたて)・襖絵(ふすまえ)などに描かれました。
●仁和寺二王門は高さ約18.7メートルの和様の二重門です。なお仁和寺二王門は入母屋造の本瓦葺です。
和様は鎌倉時代に中国・宋から伝わった建築様式(大仏様・禅宗様)に対して、それ以前に日本の寺院建築に用いられてきた建築様式です。ただ和様のもとになった建築様式も仏教などとともに中国から伝わっています。和様は飛鳥時代・奈良時代に中国から伝えられ、平安時代に日本で発展しました。和様には柱が太く、天井を低い・床を張り、縁側を造る・蟇股(かえるまた)や間斗束(けんとづか)という部材を置くなどの特徴があります。なお鎌倉時代末期頃には和様・大仏様・禅宗様を折衷した折衷様(せっちゅうよう)も生まれました。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
仁和寺見どころ

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