西本願寺の七不思議解説-修学旅行・観光の豆知識・雑学

西本願寺の七不思議は水吹き銀杏・太鼓楼・唐門・逆遠近法の障壁画などです。
西本願寺の七不思議を簡単にまとめてポイント解説します。七不思議には伽藍を守った水吹き銀杏、新撰組の屯所になった太鼓楼、日暮門と言われる唐門、円山応瑞が描いた抜け雀、逆遠近法の障壁画、梟の灯籠などがあります。(詳細下記参照)
【伽藍を守った水吹き銀杏(市指定天然記念物)】
- 水吹き銀杏の概要‐水吹き銀杏は西本願寺が江戸時代後期の1788年(天明8年)の天明の大火(てんめいのたいか)などに見舞われた際、不思議なことに葉から水が吹き出して御影堂などの伽藍(がらん)を守ったと言われています。また水吹き銀杏は高僧が間違って逆さに植えたことから幹が上に伸びずに枝が横に広がり、逆さ銀杏とも言われています。
- 水吹き銀杏の豆知識‐水吹き銀杏は高さ約15メートル・幹周り約17メートル・枝周り約30mメートルです。水吹き銀杏は京都市指定天然記念物で、樹齢400年とも言われています。
- 東本願寺‐西本願寺と異なり、東本願寺は江戸時代に4度も火災に見舞われ、火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄されました。ただ東本願寺が火元となったのは1回のみだそうです。
【新撰組の屯所になった太鼓楼(重要文化財)】
- 太鼓楼の概要‐太鼓楼(重要文化財)は寺院では珍しく、梵鐘と同じように時刻を告げたり、法要の合図をしたりしていました。太鼓楼には新旧2つの太鼓があり、古い太鼓は胴部分がツツジの木で作られ、金宝寺から西本願寺に寄進されたものです。なお太鼓楼は江戸時代後期の1789年(寛政元年)に建立されました。
- 太鼓楼の豆知識‐太鼓楼は幕末に新撰組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が一時的に置かれ、刀傷(かたなきず)が残っています。
【日暮門と言われる唐門(国宝)】
- 唐門の概要‐唐門(国宝)は精緻で、技巧を凝らされた彫刻(ちょうこく)が施され、一つ一つ細部まで見ていくと日が暮れてしまうことから日暮門(ひぐらしもん)とも言われています。また大工・左甚五郎(ひだりじんごろう)が破風(はふ)に彫った鶴は夜な夜な飛んで鳴くことから首を切り落とされたとも言われています。更に唐門には鳥も蜘蛛も巣を作らないとも言われています。なお唐門は伏見城に建ってられ、江戸時代前期の1618年(元和4年)に伏見城から西本願寺に移されたとも言われています。唐門は西本願寺内で最古の建物です。
- 唐門の豆知識‐伏見城は1592年(天正20年)に関白・豊臣秀吉が平安時代から観月の名所であった伏見指月に隠居所として隠居屋敷を建設したのが始まりです。1593年(文禄2年)に秀頼が誕生し、大坂城を秀頼に譲る為に隠居屋敷の大規模な改修が始まり、1594年(文禄3年)に城下町の整備も行われました。しかし1596年(慶長元年)の慶長伏見地震で建物が倒壊しました。その後北約500メートルにある木幡山に場所を移して築城が再開され、1597年(慶長2年)5月に天守閣が完成し、1598年(慶長3年)8月18日に秀吉が伏見城で亡くなりました。1619年(元和5年)から一国一城令によって廃城が決定し、1625年(寛永2年)に破却が完了しました。
【円山応瑞が描いた抜け雀(ぬけすずめ)】
- 抜け雀の概要‐抜け雀の障壁画は書院(国宝)の中の白書院にあり、絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)の長男・円山応瑞(まるやま おうずい)が描きました。ただ障壁画はあまりにも見事だったことから68羽の雀の内、2羽の雀が抜け出して飛んでいったと言われています。なお書院は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)以前に建立されました。
- 抜け雀の豆知識‐書院は白書院・対面所・控えの間から構成されています。
【逆遠近法の障壁画「張良引四皓図」】
- 逆遠近法の障壁画の概要‐逆遠近法の障壁画「張良引四皓図(ちょうりょういんしこうず)」は書院の中の対面所・鴻の間(ひしくいのま)にあり、近くから見るよりも遠くから見る方が上段に坐した人物が大きく見えると言われています。
- 逆遠近法の障壁画の豆知識‐逆遠近法の障壁画「張良引四皓図(商山四皓図)」は絵師・渡辺了慶(わたなべりょうけい)が前漢初期の政治家で、軍師・張良(ちょうりょう)が四賢人(孟子・顔子・曽氏・子思)を率いて、恵帝(けいてい)に謁見する様子を描きました。
【白州水屋の手水鉢(しらすみずやのちょうずばち)】
- 白州水屋の手水鉢の概要‐白州水屋の手水鉢は奥庭にあり、源頼光の家臣で、四天王のひとりである渡辺綱(わたなべのつな)が鬼の腕を斬った後、自宅に持ち帰って鬼の腕を入れていた石櫃と言われています。白州水屋の手水鉢は鬼の手水鉢とも言われています。
- 白州水屋の手水鉢の豆知識‐源頼光は天皇から酒呑童子(しゅてんどうじ)とその一族を征伐するようにとの勅命を受け、渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光・藤原保昌らを率いて、酒呑童子の首を斬り落とし、配下の鬼達も退治したという伝承が残っています。
【黒書院(国宝)の梟の灯籠(ふくろうのとうろう)】
- 梟の灯籠の概要‐梟の灯籠は黒書院(国宝)にあり、不思議なことに翌日雨が降る前夜に梟の鳴き声が聞こえると言われています。黒書院は内向きの接客や西本願寺の寺務に使用されました。なお黒書院は江戸時代前期の1657年(明暦3年)に建立されたとも言われています。
【西本願寺 備考】
*参考・・・西本願寺(七不思議・見どころ・・・)ホームページ