西本願寺御煤払2025年12月20日(御影堂・阿弥陀堂)

西本願寺御煤払
西本願寺御煤払(日程・時間・・・)を紹介しています。御煤払は例年12月20日に行われています。御煤払では御影堂・阿弥陀堂の外陣に1年で積もった埃を外に出します。御煤払は先ず僧侶だけで行われます。その後信徒などが横一列になり、煤竹で畳を叩き、大うちわで埃を外に出します。なお御煤払は1年間の無事を喜ぶ行事とも言われているそうです。(詳細下記参照)
【西本願寺御煤払2025 日程時間(要確認)】
西本願寺御煤払2025は2025年(令和7年)12月20日(土曜日)7:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・西本願寺ホームページ
【西本願寺御煤払 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60
最寄り駅・バス停・・・西本願寺前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*京都駅から西本願寺は9系統(B1乗り場)、28系統(D3乗り場)、50系統(B2乗り場)、75系統(C5乗り場)
*四条堀川からは9系統
*堀川丸太町からは9系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR西日本の場合、最寄り駅は京都駅(徒歩約15分)
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は五条駅(徒歩約15分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は大宮駅(徒歩約20分)
【西本願寺御煤払 歴史・簡単概要】
西本願寺御煤払(おすすはらい)は本願寺が東西に分立する以前の室町時代、本願寺8世・蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代が起源と言われています。なお御煤払は新年を迎える為の迎春行事です。
御煤払ではいずれも国宝である御影堂(ごえいどう)・阿弥陀堂(あみだどう)の外陣に1年で積もった埃(ほこり)を外に出します。御煤払は先ず僧侶だけで行われます。その後信徒などが横一列になり、煤竹(すすだけ)で畳を叩き、大うちわで埃(ほこり)を外に出します。その後雑巾で畳など拭きます。なお御煤払は1年間の無事を喜ぶ行事とも言われているそうです。
御影堂は1636年(寛永13年)に再建されました。御影堂は南北に約62メートル・東西に約48メートル・高さ約29メートルで、江戸時代初期の木造建物としては日本最大です。御影堂は内陣・外陣に分かれています。内陣は浄土真宗開祖・親鸞聖人坐像を安置しています。なお御影堂は本瓦葺の入母屋造です。
阿弥陀堂は1760年(宝暦10年)に再建されました。阿弥陀堂は南北に約45メートル・東西に約42メートル・高さ約25メートルです。阿弥陀堂は内陣・外陣に分かれています。内陣は本尊・阿弥陀如来像を安置しています。なお阿弥陀堂は本瓦葺の入母屋造です。
●西本願寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
西本願寺歴史(親鸞聖人・覚信尼)
●西本願寺の見どころ(御影堂・阿弥陀堂など)を紹介しています。
西本願寺見どころ(御影堂・阿弥陀堂など)
【西本願寺 歴史・簡単概要】
西本願寺(にしほんがんじ)・龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)は鎌倉時代の1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立して親鸞聖人の影像(えいぞう)を安置したのが起源です。覚信尼は廟堂の守護をする留守職(るすしき)に就き、以後覚信尼の子孫が門弟の了承を得て就任しました。西本願寺は当初専修寺(せんじゅじ)と号していたが、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の抗議により、1321年(元亨元年)に寺号を本願寺に改めました。その後西本願寺は度々移り、1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から大坂天満の土地を寄進されて移り、更に1591年(天正19年)に豊臣秀吉から京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に本願寺第11世宗主・顕如(けんにょ)の長男で、東本願寺第12代法主・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、西本願寺の東に東本願寺を創建しました。なお西本願寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山です。
*参考・・・西本願寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【西本願寺御煤払 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西本願寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都12月のイベント・行事