西本願寺鐘楼・西本願寺見どころ

西本願寺鐘楼

●西本願寺鐘楼は1910年(明治43年)8月29日に国の重要文化財に指定されました。
●西本願寺鐘楼は江戸時代前期の1618年(元和4年)に建立されました。西本願寺鐘楼は1996年(平成8年)に鋳造された梵鐘を吊っています。西本願寺では信徒の参拝や僧侶の集合を促すことを集会鐘(しゅうえしょう)と言うそうです。
一般的に鐘楼は梵鐘を吊るす堂塔です。鐘楼は金堂(こんどう)・塔・講堂・経蔵・僧坊・食堂(じきどう)とともに七堂伽藍(しちどうがらん)と言われています。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼(ころう)に対して伽藍の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造(たかどのづくり)の法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾(すそ)広がりの袴腰造(はかまごしつくり)や東大寺(とうだいじ)の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放(ふきはなし)などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。なお鐘楼は鐘撞堂・釣鐘堂などとも言われています。
西本願寺鐘楼ではかつて平安時代後期の1165年(長寛3年・永万元年)頃に鋳造された梵鐘(重要文化財)を吊っていました。梵鐘は刻まれた銘文によるとかつて広隆寺(こうりゅうじ)の梵鐘として鋳造され、室町時代に大阪にあった西本願寺の前身・石山本願寺(いしやまほんがんじ)に売られ、江戸時代前期の1620年(元和6年)に西本願寺に移されました。1996年(平成8年)に結婚式場に置かれて展示されていたが、2018年(平成30年)に休憩所・お茶所(ちゃしょ)に移されました。梵鐘は銅製で、高さ約158.2センチ・口径約106.4センチ・重さ約1.8トンです。なお広隆寺では平安時代に梵鐘が焼失したことから鋳造したそうです。
広隆寺は飛鳥時代の603年(推古天皇11年)に渡来人氏族・秦河勝(はたのかわかつ)が第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)から賜った仏像・弥勒菩薩を本尊として創建し、蜂岡寺(はちおかでら)と称したのが起源とも言われています。また広隆寺は622年(推古天皇30年)に聖徳太子が亡くなり、聖徳太子の供養の為に創建され、葛野秦寺(かどののはたでら)と言われたのが起源とも言われています。広隆寺は京都最古の寺院と言われています。
●西本願寺鐘楼は桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
西本願寺見どころ

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