日清戦争(にっしんせんそう)と五山送り火
日清戦争と五山送り火
五山送り火(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1895年(明治28年)には日本が日清戦争で清国(中国)に勝利し、明治天皇が京都を訪問したことから如意ヶ嶽(大文字山)に「祝平和」の三文字が点火されました。
【五山送り火2027 日程】
五山送り火2027は2027年(令和9年)8月16日(月曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2027(鑑賞スポット・穴場・日程・・・)
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。
【日清戦争(にっしんせんそう)】
五山送り火(大文字(だいもんじ)・妙法(みょうほう・松ケ崎妙法)・船形(ふながた・船形万灯籠)・左大文字(ひだりだいもんじ)・鳥居形(とりいがた・鳥居形松明))は起源が明確ではないが、五山それぞれに数百年以上の歴史があると言われ、五山送り火以外でも点火される場合がありました。1895年(明治28年)には日本が日清戦争で清国(中国)に勝利し、明治天皇が京都を訪問したことから如意ヶ嶽(大文字山(にょいがだけ))に「祝平和」の三文字が点火されました。
京都市が作成している歴史資料に「明治28(1895)年5月15日 日清戦争後、明治天皇の京都訪問にあたり、大文字山で「祝平和」の文字点火」と記され、例年8月16日のお盆に「大文字」の文字が点火される大文字山(如意ヶ嶽)に「祝平和」の三文字が点火されたことが分かります。1895年(明治28年)4月17日に日清戦争で日本の勝利と見なす下関条約(日清講和条約)が調印され、5月15日に明治天皇が京都を訪問しました。二条大橋・三条大橋・荒神口(こうじんぐち)や京都御苑などに多くの京都市民が集まり、「祝平和」の三文字を見上げて歓声が挙がったそうです。約9ヵ月間に及ぶ日清戦争に勝利したが、多数の戦死者などを出し、平和の尊さを実感したのかもしれません。
1894年(明治27年)8月1日に日本と清国(中国)が互いに宣戦布告して日清戦争が正式に開戦し、8月5日に戦争を指揮する大本営が参謀本部から宮中に移され、9月13日に大本営が更に広島に移され、9月15日に明治天皇が広島に入りました。その後制海権などを掌握し、1895年(明治28年)2月1日に広島で清国との第一次講和会議が行われ、3月30日に日清休戦条約が調印され、4月17日に下関条約(日清講和条約)が調印され、5月8日に発効しました。5月30日に明治天皇が広島から東京に還幸しました。
日清戦争では戦勝を祝賀する為、1895年(明治28年)5月30日に東京日比谷に凱旋門(がいせんもん)が仮設されました。
●日清戦争は1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日に日本と清国(中国)が朝鮮の支配権を巡って戦いました。日本は朝鮮への進出を図り、1875年(明治8年)9月に日本の軍艦が砲撃を受ける江華島事件が起こり、1876年(明治9年)2月に朝鮮に一方的に不平等な日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させました。江華島事件後に朝鮮に進出した日本と宗主権を主張する清国との対立が深まりました。1882年(明治15年)に壬午軍乱が起こり、日本は済物浦条約を結んで漢城に軍隊を駐屯させました。1884年(明治17年)に日本と清国の駐留軍が武力衝突する甲申事変が起こったが、出兵・撤退を事前通告するなどの天津条約を結んで両国軍が撤兵しました。1894年(明治27年)に朝鮮民衆が宗教結社の東学党の下で蜂起する甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると朝鮮政府が清国に出兵を要請し、日本も対抗して出兵しました。日本は朝鮮の内政改革を提案したが、清国が拒否して両国軍が漢城・牙山などで対立し、1894年(明治27年)7月25日に豊島沖で衝突が起こり、同年8月1日に日本は清国に宣戦布告しました。日本は平壌の戦い・黄海海戦などで大勝し、大連・旅順・威海衛を占領し、遼東半島を完全に制圧しました。列国から講和勧告が相次ぎ、清国からの講和打診もあり、1895年(明治28年)4月17日に日本全権の伊藤博文・陸奥宗光と清国全権・李鴻章との間で下関条約(日清講和条約)を締結し、日本は清国と朝鮮間の宗主権解消による朝鮮の独立承認、清国から日本への台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲と賠償金二億両(テール)の支払い・最恵国待遇などを得ました。ただ遼東半島はロシア・ドイツ・フランスの三国干渉によって清国に返還されました。日清戦争では戦費が約2億3千万円に達し、過半は公債で支弁されました。日本軍は軍人・軍属など39万5千人を動員し、軍人・軍属の戦死1,132人、戦傷死285人、病死11,894人などが出ました。日清戦争後に日本は国際的地位を向上させ、日本経済は急速に発展し、大規模な軍備の拡張を行いました。中国は列強による分割が激化し、半植民地化が進みました。
【日清戦争と五山送り火 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
五山送り火スポット













