御室桜(見ごろ・日本さくら名所100選・・・)仁和寺見どころ

仁和寺(Ninna-ji Temple)

御室桜(見ごろ・日本さくら名所100選・・・)

御室桜を解説します。御室桜は中門内の西側一帯に植えられている約200本のオムロアリアケのことです。御室桜は国の名勝に指定され、府内で嵐山・醍醐寺・笠置山自然公園とともに日本さくら名所100選に選ばれています。(詳細下記参照)

仁和寺見どころ(金堂・五重塔など)

【御室桜の概要・概略】

●概要・概略:御室桜(おむろざくら)は国の名勝です。御室桜は京都府内で、京都市の嵐山(あらしやま)・京都市の醍醐寺(だいごじ)・笠置町の笠置山自然公園(かさぎやましぜんこうえん)とともに日本さくら名所100選にも選ばれています。御室桜は中門内の西側一帯に植えられている約200本のオムロアリアケ(御室有明)のことを言います。
●国の名勝:御室桜は1924年(大正13年)に国の名勝に指定されました。

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【御室桜とオムロアリアケ(御室有明)】

●オムロアリアケ:オムロアリアケはバラ科サクラ属の落葉小高木です。オムロアリアケには花が一重と八重の株があり、八重咲きの株は八重御室有明とも言われています。
●移植:御室桜は鎌倉時代前期の1229年(安貞3年)に仁和寺から1株が閑院内裏南殿(紫宸殿(ししんでん)前に移植されたとも言われています。
●桜の木:仁和寺にはオムロアリアケ以外にも金堂前に染井吉野(ソメイヨシノ)、鐘楼前に枝垂桜(シダレザクラ)が植えられ、普賢象(フゲンゾウ)などの桜の木も植えられています。

【御室桜の桜見ごろ(遅咲き)】

●桜見ごろ:御室桜の桜見ごろは例年4月中旬頃です。京都市内の桜の名所では例年3月下旬頃~4月上旬頃に桜の見ごろを迎えるところが多いが、御室桜は遅咲きになります。なお御室桜の見ごろに御室花まつりが行われています。(要確認)
●遅咲きの名所:御室桜は地理的に桜の見ごろが遅くなる原谷苑(はらだにえん)とともに例年4月中旬頃に花見ができる桜の名所として知られています。

【御室桜は低木(お多福桜)】

●低木:御室桜の樹高は染井吉野(ソメイヨシノ)などの桜の木と比較すると低く、樹高が2~3メートルになります。御室桜が低木で、桜の見ごろが遅くなるのは長年植えられている場所の地盤が硬い岩盤で、それによって御室桜が根を深く伸ばせないからと考えられ、御室桜の謎とも言われていました。しかし近年の土壌調査により、地盤の固い地層と粘土質(ねんどしつ)の土壌に炭素(たんそ)・窒素(ちっそ)などの栄養素がほとんど含まれていないことが原因だと分かったそうです。
●お多福桜:御室桜は低木であることから「わたしゃお多福 御室の桜 鼻が低ても 人が好く」とも言われ、「鼻(花)が低い」ことからお多福桜とも言われています。

【御室桜の名称・名前】

●名称・名前:御室桜の名称は平安時代中期の904年(延喜4年)に開基・宇多法皇(第59代・宇多天皇(うだてんのう))が仁和寺山内に僧房・御室(御座所)を設けて住み、御室御所と言われたことに由来しています。
●宇多天皇:宇多天皇は867年(貞観9年)に第58代・光孝天皇の第7皇子として生まれました。父は不祥事によって退位させられた第57代・陽成天皇の大叔父にあたり、884年(元慶8年)に臣籍降下させられ、源定省と称しました。887年(仁和3年)に父が重態になると関白・藤原基経の推挙により、親王に復して立太子され、父が崩御すると天皇に即位しました。891年(寛平3年)に藤原基経が亡くなると親政を開始し、菅原道真などを重用し、寛平の治と言われました。遣唐使が停止され、日本三代実録・類聚国史(るいじゅこくし)が編纂され、官庁の統廃合なども行われました。897年(寛平9年)に皇太子・敦仁親王(第60代・醍醐天皇)に譲位しました。899年(昌泰2年)に出家して法皇になり、仁和寺に入り、高野山・比叡山・熊野三山などを参詣しました。901年(昌泰4年)に側近であった菅原道真が大宰府に左遷される昌泰の変が起こり、内裏に押し掛けて座り込んで抗議したが、聞き入れられず、・醍醐天皇と対立しました。宇多天皇は931年(承平元年)に崩御しました。
●御室流:宇多法皇は華道・御室流の流祖(家元)とされています。

【御室桜と桜名所】

●桜名所:御室桜は江戸時代前期の儒学者(じゅがくしゃ)・本草学者(ほんそうがくしゃ)である貝原益軒(かいばらえきけん)は「京城勝覧(けいじょうしょうらん)・1706年(宝永3年)」の中で、「洛中洛外にて第一とす」と絶賛しました。また御室桜は江戸時代に庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌・俳句などにも詠われました。江戸時代中期の俳人・画家である与謝蕪村(よさぶそん)は「ねぶたさの 春は御室の 花よりぞ」と詠みました。また春泥(しゅんでい・黒柳召波(くろやなぎしょうは))は「仁和寺や 足もとよりぞ 花の雲」、桐奚(とうけい)は「花盛り 御室の路の 人通り」と詠みました。
●仁和寺桜会:仁和寺では平安時代中期の957年(天徳元年)に観桜(花見)を兼ねた法会である仁和寺桜会(さくらえ)が行われました。なお江戸時代前期の寛永年間(1667年~1673年)に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)もお花見を楽しんだとも言われています。
●花見:仁和寺ではかつて貴族など身分が高い者だけに花見が許されていたが、江戸時代中期の1757年(宝暦7年)頃に困窮している門前の庶民に観桜期だけに茶店の出店を認めるようになり、庶民も花見ができるようになったそうです。「都名所図会(みやこめいしょずえ)・江戸時代後期」には花見の様子が鳥瞰図(ちょうかんず)で紹介されています。

【御室桜 備考】
*参考・・・仁和寺(見どころ・歴史・御室桜・・・)ホームページ

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