来迎院宝物展2019/11/1~30(日程・時間・・・)

来迎院宝物展

来迎院宝物展(日程・時間・・・)を紹介しています。宝宝物展は秋に行われています。宝物展では平安時代(藤原時代)に造仏され、いずれも重要文化財である木造釈迦如来坐像・木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像を安置する本堂で、融通念仏宗の開祖で、天台声明中興の祖である聖応大師・良忍の掛軸などが公開されます。(詳細下記参照)

【来迎院宝物展2019 日程時間(要確認)】
来迎院宝物展2019は2019年(令和元年)11月1日(金曜日)~30日(土曜日)9:00~16:30に行われます。

【来迎院宝物展 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市左京区大原来迎院町537
最寄り駅・バス停・・・大原(徒歩約15分)

京都バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から来迎院は17系統(C3乗り場)、18系統(C3乗り場)
*四条河原町・三条京阪からは17系統
*四条烏丸からは17系統
京都バス・アクセスダイヤ

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【来迎院宝物展 歴史・簡単概要】
来迎院宝物展(ほうもつてん)は毎年秋(11月1日~30日)に行われています。ちなみに宝物展は春(5月1日~30日)にも行われています。
宝物展では平安時代(藤原時代)に造仏され、いずれも重要文化財である木造釈迦如来坐像・木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像を安置する本堂で、融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の開祖で、天台声明(てんだいしょうみょう)中興の祖である聖応大師(しょうおうだいし)・良忍(りょうにん)の掛軸などが公開されます。ちなみに来迎院には天台声明に関する典籍約600点などが残されているそうです。
聖応大師・良忍は1073年(延久5年)に尾張国知多郡の領主・秦道武(はたのみちたけ)の子として生まれたとも言われています。12歳で出家し、比叡山東塔常行三昧堂(ひえいざんとうとうじょうぎょうざんまいどう)に入り、比叡山で天台教学、園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))で梵網戒(ぼんもうかい)、仁和寺(にんなじ)で密教を学び、その後大原に隠棲して来迎院・浄蓮華院(じょうれんげいん)を創建し、1117年(永久5年)に阿弥陀仏の示現を受けて融通念仏を開祖しました。
声明は経典などに独特の節をつけた仏教音楽とされ、法会儀式などに用いられます。声明はインドから中国、中国から日本に仏教とともに奈良時代に伝わり、754年(天平勝宝4年)の奈良・東大寺の大仏開眼法要の際に用いられた記録が残っているそうです。なお声明は梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)・祭文(さいもん)などとも言われています。
来迎院にはいずれも国宝である伝教大師度縁案並僧綱牒(東京国立博物館寄託)・日本霊異記 中下 2帖(京都国立博物館寄託)やいずれも重要文化財である木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像・来迎院如来蔵聖教文書(法函・報函・応函)・石造三重塔などの寺宝があります。

【来迎院 歴史・簡単概要】
来迎院(らいごういん)は平安時代前期の仁寿年間(851年~854年)に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が天台声明(てんだいしょうみょう)の道場として創建したと言われています。その後衰微し、平安時代後期の1109年(天仁2年)に融通念仏(ゆうずうねんぶつ)の祖である聖応大師(しょうおうだいし)・良忍(りょうにん)が入寺して再興しました。来迎院を本堂とする上院と勝林院(しょうりんいん)を本堂とする下院が成立し、付近一帯が魚山大原寺 (ぎょざんたいげんじ)と総称されるようになり、伝承された声明は天台声明・魚山声明(ぎょざんしょうみょう)と言われました。ちなみに勝林院は1013年(長和2年)に慈覚大師・円仁の9代目弟子で、天台宗の僧・寂源(じゃくげん)が創建したとも言われています。来迎院は鎌倉時代初期に多くの僧侶が集まり、盛時に49院の寺坊があったとも言われています。その後度々焼失したが、その度に再建され、室町時代後期(戦国時代)の天文年間(1532年~1555年)に現在の建物が再建されました。江戸時代に江戸幕府から朱印状(しゅいんじょう)を与えられました。
来迎院は天台宗の寺院です。
*参考・・・来迎院(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【来迎院宝物展 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大本(アクセス・見どころ・・・)情報

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