祇園祭大政所神剣拝戴7/16(長刀鉾)

八坂神社大政所御旅所

祇園祭大政所神剣拝戴

祇園祭大政所神剣拝戴はかつての祇園祭の行事です。祇園祭大政所神剣拝戴はかつて7月16日に行われていたそうだが、現在は途絶えています。大政所神剣拝戴では長刀鉾の長刀が大政所御旅所に移されて神事が行われ、神事終了後に厄除けの為に一般に公開していたそうです。(詳細下記参照)

★祇園祭最新情報。

【祇園祭大政所神剣拝戴 日程時間(要確認)】

祇園祭大政所神剣拝戴はかつて7月16日に行われていたそうだが、現在は途絶えています。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭大政所神剣拝戴・大政所御旅所 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市下京区大政所町678-3
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約4分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から八坂神社大政所御旅所は地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

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【祇園祭大政所神剣拝戴 簡単概要】

祇園祭大政所神剣拝戴(おおまんどころしんけんはいちょう)はかつて行われていたが、1972年(昭和47年)頃に途絶えたとも言われています。残念ながらいつから途絶えたかという正確な情報は残っていないようです。大政所神剣拝戴では長刀鉾(なぎなたほこ)の長刀が大政所御旅所に移されて神事が行われ、神事終了後に厄除け(やくよけ)の為に一般に公開していたそうです。ちなみに大政所神剣拝戴では長刀鉾の囃子方(はやしかた)による祇園囃子(コンチキチン)も奉納されていたそうです。

  • 長刀鉾の長刀は平安時代に三条小鍛冶宗近が作刀し、娘の病気平癒の祈願の為に八坂神社に奉納したと言われています。その後和泉小次郎親衡が太刀を懇望し、一時愛用したが、何かと不思議なことが起こり、私することを恥じ、八坂神社に太刀を返納したと言われています。その後1522年(大永2年)に三条長吉が作刀した長刀に取り替えられ、1675年(延宝3年)に和泉守来金道が作刀した長刀に取り替えられました。現在、長刀は1837年(天保8年)から竹に錫箔を張ったレプリカに取り換えられています。
  • 祇園囃子は室町時代末期に能楽(能(のう)・狂言(きょうげん))をヒントに祇園祭で奏でられるようになり、江戸時代に現在のような様式に整えられたと言われています。祇園囃子は鉦(かね・摺り鉦(すりがね))・笛(能菅(のうかん))・太鼓(たいこ・締め太鼓(しめだいこ))で編成されています。祇園囃子には山鉾に共通している部分もあるが、その多くは各山鉾町独自のものだそうです。ちなみに祇園囃子は親しみを込めて、「コンチキチン」とも言われています。なお祇園囃子には祇園祭で賑やかにお囃子を奏でることにより、疫病の元とされる悪霊を誘い出して引き寄せ、山鉾町に持ち帰って蔵に封じ込める役割があるとも言われています。

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【大政所御旅所 歴史・簡単概要】

大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)は974年(天延2年)東洞院高辻に住む秦助正(はたのすけまさ)が「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」との八坂大神からの神託を夢の中で受け、円融天皇も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所御旅所になり、神殿が造営されたとも言われています。神託があった翌朝、八坂神社の神職は本殿から秦助正の自宅の庭の塚まで蜘蛛の糸が続いていたのを見つけたとも言われています。その後1536年(天文5年)に焼失し、1591年(天正19年)には関白・豊臣秀吉の命により、少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と統合し、現在の八坂神社御旅所に移されました。

【長刀鉾 歴史・簡単概要】

長刀鉾(なぎなたほこ)は鉾頭に疫病邪悪(えきびょうじゃあく)を祓う大長刀(おおなぎなた)を付けていることに由来しています。鉾頭にはかつて三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が造った長刀、1522年(大永2年)に三条長吉が造った長刀、1675年(延宝3年)に和泉守来金道が造った長刀が使われていたが、現在は竹に錫箔を張ったレプリカが使われています。なお長刀は刃先が御所・八坂神社には向かないように南向きに取り付けられています。
三条小鍛冶宗近が造った長刀は宗近が娘の病気平癒を祈願し、八坂神社(祇園社)に奉納しました。その後鎌倉時代には武士が愛用していたが、不思議な出来事が続いたことから返納されました。1522年(大永2年)神のお告げにより、長刀鉾町で飾ったところ流行していた疫病は治まったと言われています。
*参考・・・長刀鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ

【祇園祭大政所神剣拝戴 備考】
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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