大谷本廟朝の法座2019/8/6~10(日程時間・・・)
大谷本廟朝の法座
大谷本廟朝の法座(日程・時間・・・)を紹介しています。朝の法座は例年8月6日~10日に行われています。2019年の朝の法座は仏殿で行われます。6:00から晨朝(讃仏偈)、6:15から朝の法座(挨拶・開会の言葉)、6:20から講話(約50分)、7:10に閉会(恩徳讃)します。なお朝の法座は申込不要・参加無料です。(詳細下記参照)
【大谷本廟朝の法座2019 日程時間(要確認)】
大谷本廟朝の法座2019は2019年(令和元年)8月6日(火曜日)~10日(土曜日)6:00から行われます。
【大谷本廟朝の法座 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区五条橋東6丁目514
最寄り駅・バス停・・・五条坂(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大谷本廟は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は清水五条駅(徒歩約15分)
【大谷本廟朝の法座 歴史・簡単概要】
大谷本廟朝の法座(ぎょうてんこうざ)は例年8月6日~10日に行われています。朝の法座は1957年(昭和32年)8月に黎明講座(れいめいこうざ)として行ったのが起源です。1958年(昭和33年)4月に大谷本廟で浄土真宗の宗祖・親鸞聖人700回大遠忌法要の予修法要(よしゅうほうよう)が行われた際に名称を朝の法座に改めました。なお朝の法座は申込不要・参加無料です。
2019年の朝の法座は仏殿で行われます。6:00から晨朝(しんちょう・讃仏偈(さんぶつげ))、6:15から朝の法座(挨拶・開会の言葉)、6:20から講話(約50分)、7:10に閉会(恩徳讃(おんどくさん))します。講話は下記の通りです。
6日・・・武田昭英(本願寺執行長)・「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
7日・・・宮﨑幸枝(西本願寺医師の会会員・みやざきホスピタル副院長)・「-人生の解決- 人間に生まれてきて本当に良かったとは?」
8日・・・草野龍子(真宗大谷派参務)・「いま聞き いまうなずき いま念仏申す」
9日・・・清水健(清水健基金代表理事・フリーキャスター)・「大切な人の『想い』とともに・・・」
10日・・・大田利生(浄土真宗本願寺派勧学)・「染香人(ぜんこうにん)」
*参考・・・大谷本廟朝の法座
暁天(ぎょうてん)は夜明けの空、または夜明けを意味します。日本では古来から夜が3つに分けられ、暁(あかつき)は宵(よい)・夜中(よなか)に続く、最後の3番目を表しています。暁天講座はいずれも二十四節気(にじゅうしせっき)に数えられ、梅雨の明ける時期(7月上旬頃)・小暑(しょうしょ)から暑さが最も厳しい時期(7月下旬頃)・大暑(たいしょ)、または秋の気配が感じられる時期(8月上旬頃)・立秋(りっしゅう)頃の早朝に行われます。なお暁天講座は僧侶が朝のお勤めを終える午前6時頃から始まり、1時間ほど行なわれます。
【大谷本廟 歴史・簡単概要】
大谷本廟(おおたにほんびょう)・西大谷(にしおおたに)は浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の墓所です。大谷本廟は鎌倉時代の1272年(文永9年)に親鸞聖人の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山大谷に親鸞聖人の廟堂として建てた六角の廟堂(大谷廟堂)を起源としています。江戸時代初期の1603年(慶長8年)に徳川将軍家が知恩院(ちおんいん)を再建・拡張した際に親鸞聖人が荼毘に付された鳥辺山(とりべやま)南辺の御荼毘所(おだびしょ)が東山大谷(大谷本願寺・大谷影堂)の代替地として与えられて移りました。
*参考・・・大谷本廟(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ・大谷本廟(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【西本願寺 歴史・簡単概要】
西本願寺(にしほんがんじ)・龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)は鎌倉時代の1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立して親鸞聖人の影像(えいぞう)を安置したのが起源です。覚信尼は廟堂の守護をする留守職(るすしき)に就き、以後覚信尼の子孫が門弟の了承を得て就任しました。西本願寺は当初専修寺(せんじゅじ)と号していたが、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の抗議により、1321年(元亨元年)に寺号を本願寺に改めました。その後西本願寺は度々移り、1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から大坂天満の土地を寄進されて移り、更に1591年(天正19年)に豊臣秀吉から京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に本願寺第11世宗主・顕如(けんにょ)の長男で、東本願寺第12代法主・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、西本願寺の東に東本願寺を創建しました。なお西本願寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山です。
*参考・・・西本願寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【大谷本廟朝の法座 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大谷祖廟(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報