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来迎院三重塔・来迎院見所(修学旅行・観光)
来迎院三重塔
●来迎院三重塔は1956年(昭和31年)6月28日に国の重要文化財に指定されました。
●来迎院三重塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。三重塔は平安時代後期の1109年(天仁2年)に来迎院に入寺し、来迎院を再興した融通念仏の祖である聖応太師(せいおうたいし)・良忍(りょうにん)の墓とも言われています。
聖応太師・良忍は平安時代後期の1073年(延久5年)に尾張国知多郡の領主・秦道武(はたのみちたけ)の子として生まれたとも言われています。12歳で比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)東塔にあり、阿弥陀仏(あみだぶつ)を本尊とする常行三昧堂(じょうぎょうさんまいどう)に入って堂僧になり、雑役を務めながら良賀(りょうが)に師事して不断念仏(ふだんねんぶつ)を修め、「良仁」の名を与えられました。禅仁(ぜんにん)・観勢(かんせい)から円頓戒(えんどんかい)脈を継承して円頓戒を復興させました。また延暦寺で天台教学を学ぶだけでなく、園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))で梵網戒(ぼんもう)、仁和寺(にんなじ)で密教(みっきょう)を学びました。23歳の頃に大原に隠遁(いんとん)し、名を「良忍」に改めました。来迎院(らいごういん)・浄蓮華院(じょうれんげいん)を創建し、分裂していた天台声明(てんだいしょうみょう)の統一して魚山声明(ぎょさんしょうみょう・大原声明(おおはらしょうみょう))を完成させました。1117年(永久5年)に阿弥陀仏のお告げを受け、「一人一切人、一切人一人。一行一切行、一切行一行」という偈文(げもん)を感得し、融通念仏宗を(ゆうずうねんぶつしゅう)創始しました。「一人往生をとげば 衆人も往生をとげむ ことうたがひあるべからず」という自他融通の他力念仏の行者となり、全国を歴遊して教化に努め、1127年(大治2年)に摂津(大阪)修楽寺(しゅらくじ・大念仏寺(だいねんぶつじ))を融通念仏宗の根本道場と定めました。聖応太師・良忍は1132年(天承2年)に来迎院で亡くなり、江戸時代中期の1773年(安永2年)に「聖応大師」の諡号を賜りました。
●来迎院三重塔は石造三重塔です。
一般的に三重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、飛鳥時代の684年(天武13年)~706年(慶雲3年)に建立された法起寺(ほうきじ)の三重塔が日本最古の三重塔です。なお三重塔には木造塔以外にも石造・瓦造・鉄製などもあります。
来迎院