霊雲院書院・霊雲院見所(修学旅行・観光)

霊雲院書院

●霊雲院書院は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●霊雲院書院は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されたと言われています。霊雲院は戦国時代(室町時代後期)の1526年(大永6年)に大休宗休(だいきゅうそうきゅう・大休国師)が薬師寺備後守国長(やくしじびんごのかみくになが)の室・霊雲院清範尼(れいうんいんせいはんに)の求めで、師で、妙心寺10世住持・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を開山として創建されたと言われ、その際に本堂が建立されたとも言われています。書院は西北の間を後奈良天皇御幸の間と伝えています。なお書院庭園は是庵作庭と伝えられ、国の史跡・名勝に指定されています。
大休宗休は室町時代中期の1468年(応仁2年)に生まれたとも言われています。幼少時に臨済宗(りんざいしゅう)東福寺派の大本山・東福寺(とうふくじ)永明庵(ようめいあん)で出家して学び、その後妙心寺(みょうしんじ)の塔頭(たっちゅう)である龍安寺(りょうあんじ)の特芳禅傑(とくほうぜんけつ)に参禅して師事し、その印可(いんか)を受けました。特芳禅傑に亡くなると妙心寺の塔頭である西源院(せいげんいん)、龍安寺の住持を歴任し、臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺の25世住持になりました。晩年は霊雲院(れいうんいん)を創建して住しました。大休宗休は駿河国・遠江国の戦国大名で、今川氏第11代当主・今川義元(いまがわよしもと)の帰依(きえ)を受け、駿河国(静岡県)に臨済寺(りんざいじ)を開山しました。また大休宗休は第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)に臨済宗の宗義を進講し、円満本光国師(えんまんほんこうこくし)の諡号(しごう)を賜りました。なお大休宗休は1549年(天文18年)9月15日に亡くなりました。
●霊雲院書院は桁行約7.8メートル・梁間約7.0メートルで、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
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