臨川寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

臨川寺
臨川寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。臨川寺は後嵯峨天皇・亀山上皇の離宮・亀山殿の別殿・川端殿があった場所で、亀山上皇の皇女・昭慶門院が出家しました。昭慶門院の養子になった後醍醐天皇が子・世良親王が川端殿を禅寺に改める予定だったが、急逝したそうです。
【臨川寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町33
最寄り駅・バス停・・・嵐山天龍寺前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から臨川寺は28系統(D3乗り場)
*四条河原町からは11系統
*四条烏丸からは11系統
*河原町丸太町からは93系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約7分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は嵐山駅(徒歩約3分)
【臨川寺 拝観時間・時間(要確認)】
不明
【臨川寺 拝観料金・料金(要確認)】
不明
【臨川寺 歴史・簡単概要】
臨川寺(りんせんじ)は鎌倉時代(1185年~1333年)後期に亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の離宮・亀山殿(かめやまどの)の別殿・川端殿が造営されていた場所でした。別殿・川端殿は亀山法皇の皇女・憙子内親王(きしないしんのう)の御所になり、憙子内親王が亡くなると憙子内親王が養子として養育していた南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいがてんのう)が第2皇子・世良親王(よよししんのう・ときながしんのう)に授けられました。臨川寺は南北朝時代(1337年~1392年)の1335年(建武2年)に後醍醐天皇が第2皇子・世良親王の菩提を弔う為、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として創建しました。世良親王は南禅寺(なんぜんじ)の住職である仏徳禅師・元翁本元(げんのうほんげん)を開山に別殿・川端殿を禅寺を改めようとしたが、世良親王と仏徳禅師・元翁本元が亡くなった為、父・後醍醐天皇が別殿・川端殿を寺院に改めました。1353年(正平8年・文和2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が准十刹の官刹に列し、1377年(天授3年・永和3年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が室町幕府管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)の働き掛けにより、京都五山に列したが、康暦の政変によって細川頼之が失脚すると十刹に格下げされ、1386年(元中3年・至徳3年)に京都十刹に列せられました。江戸時代(1603年~1868年)前期の1622年(元和8年)に開山堂、1619年(元和5年)に客殿、1647年(正保4年)に中門が建立されました。
臨川寺は臨済宗天龍寺派の寺院です。
*参考・・・臨川寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【臨川寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
臨川寺の見どころは夢窓国師木像が安置されている開山堂です。
【臨川寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-861-3248
【臨川寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
*京都バスの場合、京都駅からは72系統、最寄りのバス停は京福嵐山駅前(徒歩約3分)
京都バス・アクセスダイヤ
【臨川寺 おすすめ散策ルート】
臨川寺からのおすすめ散策ルートは天龍寺・竹林の道(竹林の小径)・野宮神社・二尊院を経由し、化野念仏寺に向かうルートです。40分ほど散策すれば、世界遺産である天龍寺だけでなく、嵯峨の自然を感じながら化野念仏寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお臨川寺近くには渡月橋・嵐山があり、それらを散策するのもいいかもしれません。