永観堂緑蔭法話2019/8/1~3(日程時間・・・)

永観堂緑蔭法話

永観堂緑蔭法話(日程・時間・・・)を紹介しています。緑蔭法話は毎年夏に行われています。2019年の緑蔭法話は放生池畔(雨天の場合、鶴寿台)で行われます。題目は「生死事大(しょうじじだい)~今を生きる~」です。なお法話終了後、点心の接待が行われます。(要確認)また各日抽選で法主の色紙が進呈されます。(要確認)(詳細下記参照)

【永観堂緑蔭法話2019 日程時間(要確認)】
永観堂緑蔭法話2019は2019年(令和元年)8月1日(木曜日)~3日(土曜日)7:00~8:00に行われます。

【永観堂緑蔭法話 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区永観堂町48
最寄り駅・バス停・・・南禅寺・永観堂道(徒歩約3分)、東天王町(徒歩約8分)、宮ノ前町(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から永観堂は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は蹴上駅(徒歩約15分)

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【永観堂緑蔭法話 歴史・簡単概要】
永観堂緑蔭法話(りょくいんほうわ)は毎年夏に行われています。緑蔭法話では禅林寺法主が法話を行い、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の念仏思想の大切さを考える機会になります。なお緑蔭法話では予約は必要はありません。
2019年の緑蔭法話は放生池畔(雨天の場合、鶴寿台)で行われます。題目は「生死事大(しょうじじだい)~今を生きる~」で、1日目が「無常迅速(むじょうじんそく)”あっという間”の人生」、2日目が「死を明らむる」、3日目が「”今を生きる”ということ」になります。なお法話終了後、点心の接待が行われます。(要確認)また各日抽選で法主の色紙が進呈されます。(要確認)
生死事大(しょうじじだい)は生死を繰り返す六道輪廻(ろくどうりんね)において、迷いを捨て、悟りを開くのは人と生まれたこの時しがなく、最も大事なことであるという意味です。無常迅速(むじょうじんそく)は人の世の移り変わりが極めて速く、人の一生は短く、死期が思い掛けず早く訪れる例えです。
*参考・・・永観堂緑蔭法話
緑蔭(りょくいん・緑陰)は木の青葉が茂ってできる影(かげ)のことです。
法話(ほうわ)は寺院の住職・僧侶が聴衆の前で仏法などの話をすることです。法話は一般的に仏教において使われる言葉です。
●永観堂の歴史(創建から現在)を紹介しています。
永観堂歴史(真紹・永観律師)
●永観堂の見どころ(阿弥陀堂・方丈など)を紹介しています。
永観堂見どころ(阿弥陀堂・方丈など)

【永観堂 歴史・簡単概要】
永観堂(えいかんどう)・禅林寺(ぜんりんじ)は平安時代に歌人・貴族で、東山進士と言われた藤原関雄(ふじわらのせきお)の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は平安時代前期の853年(仁寿3年)に真言宗の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の高弟である河内観心寺(かんしんじ)・真紹僧都(しんじょうそうず)が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。863年(貞観5年)に第56代・清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間(1077年~1080年)に中興の祖で、7世住持・永観律師(ようかんりっし)が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観律師は境内に施療院・薬王院を建て、病人救済などの慈善事業も行いました。永観堂の名称は永観律師に由来しています。鎌倉時代初期に12世住持・静遍僧都(じょうへんそうず)が浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)に帰依して浄土宗に改めました。1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇が離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の造営を開始したことから境内の南側を割譲したと言われています。
永観堂は浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院です。
*参考・・・京都・永観堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【永観堂緑蔭法話 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
永観堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
永観堂見どころ(阿弥陀堂・方丈など)

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