龍安寺勅使門・龍安寺見どころ

龍安寺勅使門

●龍安寺勅使門は国の重要文化財に指定されています。
●龍安寺勅使門は1975年(昭和50年)に西源院(せいげんいん)の唐門を移して建立されました。龍安寺唐門はかつて江戸時代後期の1797年(寛政9年)に食堂(じきどう)から出火した火災により、方丈・開山堂・仏殿とともに焼失しました。龍安寺勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日して訪問した際に使われました。その後1985年(昭和60年)にこけら葺の屋根が全面改修されました。
一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。ちなみに使者は上皇の場合に院使(いんし)、皇后の場合に皇后宮使(こうごうぐうし)、中宮の場合に中宮使(ちゅうぐうし)、皇太后の場合に皇太后宮使(こうたいごうぐうし)、女院の場合に女院使(にょいんし)と言われます。
一般的に唐門は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根に丸みをつけて造形した唐破風(からはふ)がついた門です。唐門は豪華な彫刻が施されたものは向唐門(むこうからもん)、唐破風が妻にある簡素なものは平唐門 (ひららもん)と言われています。唐門は平安時代後期に見られるようになり、桃山時代が隆盛期と言われています。
西源院は室町時代に守護大名で、室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が藤原氏北家閑院流(かんいんりゅう)の徳大寺家(とくだいじけ)から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建立したのが起源とも言われています。また1489年(延徳元年)に細川勝元の子で、室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)が大徳寺46世住持・妙心寺10世住持であった特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて建立したのが起源とも言われています。江戸時代初期の1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が方丈を建立したが、その後龍安寺に移築されました。1888年(明治21年)に龍安寺の塔頭・東皐院(とうこういん)を併寺しました。
●龍安寺勅使門は唐破風(からはふ)のこけら葺です。龍安寺勅使門には牡丹唐草(ぼたんからくさ)の欄間(らんま)があります。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻の三角形の部分です。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
龍安寺見どころ

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