龍安寺方丈・龍安寺見どころ(修学旅行)

龍安寺方丈

●龍安寺方丈は1967年(昭和42年)6月15日に国の重要文化財に指定されました。
●龍安寺方丈は江戸時代後期の1797年(寛政9年)に焼失し、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に織田信長(おだのぶなが)の弟・織田信包(おだのぶかね)が建立した妙心寺(みょうしんじ)の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈を移して再建されました。
西源院(せいげんいん)は起源が明確ではありません。西源院は室町時代に守護大名で、室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が藤原氏北家閑院流(かんいんりゅう)の徳大寺家(とくだいじけ)から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建立したのが起源とも言われています。また1489年(延徳元年)に細川勝元の子で、室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)が大徳寺46世住持・妙心寺10世住持であった特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて建立したのが起源とも言われています。
一般的に方丈は1丈(約3メートル)四方の部屋を意味し、禅宗寺院の住持(じゅうじ・住職)や長老の居室を指します。方丈は大乗仏教の経典「維摩経(ゆいまきょう)」にインドの在家仏徒・維摩居士(ゆいまこじ)が神通力で1丈四方の部屋に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)など8,000人の菩薩や仏弟子である500人の声聞(しょうもん)を招き入れたという故事に由来しています。そこから方丈に全宇宙が内在し、住職の居室を方丈というようになりました。方丈は堂頭(どうちょう)・堂上(どうじょう)・正堂(しょうどう)・函丈(かんじょう)とも言われています。なお「維摩経」は仏教伝来とともに伝わったとも言われ、聖徳太子(しょうとくたいし)の注釈書「維摩経義疏(三経義疏(さんぎょうぎしょ))」が残されています。
●龍安寺方丈はかつて狩野派の絵師などが描いた襖絵90面があったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際に売却されました。現在は南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(クムガンサン)の襖絵が飾られています。
皐月鶴翁(皐月鶴年)は文人画家・儒学者で、日本最後の文人と謳われた富岡鉄斎(とみおかてっさい)に師事し、北朝鮮の金剛山を何度も訪れて仙人の境地を学んだとも言われています。皐月鶴翁は大正時代末期から昭和初期に活躍し、山水画や赤富士など多く描きました。
龍安寺見どころ

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