龍安寺ツツジ見ごろ2024(5月上旬頃)

龍安寺ツツジ見ごろ(見頃)

龍安寺ツツジ見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。龍安寺には池泉回遊式庭園の中心である鏡容池周辺に霧島ツツジ・平戸ツツジなどが植えられ、鏡容池と霧島ツツジ・平戸ツツジなどの光景が美しいと言われています。鏡容池には水分石・石橋・舟泊などがあります。(詳細下記参照)

【龍安寺ツツジ見ごろ(例年時期)】
龍安寺のツツジ見ごろは例年5月上旬頃です。なおツツジの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ツツジ・サツキ名所・見ごろ

【龍安寺ツツジ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
最寄りバス停・・・竜安寺前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条河原町から龍安寺は59系統
*河原町丸太町からは59系統

*京都駅から50系統(B2乗り場)の場合、立命館大学前(徒歩約7分)
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は龍安寺駅(徒歩約7分)

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【龍安寺ツツジ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
龍安寺はツツジ(躑躅)の名所です。龍安寺のツツジ見ごろは霧島ツツジ・平戸ツツジともに例年5月上旬頃です。
龍安寺には池泉回遊式庭園(国の名勝)の中心である鏡容池(きょうようち)周辺に霧島ツツジ・平戸ツツジなどが植えられ、鏡容池と霧島ツツジ・平戸ツツジなどの光景が美しいと言われています。鏡容池には水分石(みくまりいし)・石橋・舟泊・水没鳥居などがあります。ちなみに鏡容池周辺にはシャクナゲ・アヤメ・藤なども植えられ、霧島ツツジ・平戸ツツジと一緒に楽しめることもあります。なお鏡容池の畔には塔頭・西源院があり、精進料理(七草湯豆腐)を味わうことができます。
池泉回遊式庭園は裏山の衣笠山・朱山を借景にし、境内の南側半分を占める鏡容池を中心とした庭園です。鏡容池はかつて溜池で、それを池泉に改修したとも言われています。鏡容池では平安時代に貴族が船を浮かべて歌舞音曲を楽しみ、安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が弁天島に弁財天を祀りました。池泉回遊式庭園にはスイレン・ハス・カエデなども植えられています。なお鏡容池はオシドリの名所だったことから龍安寺は鴛鴦寺(おしどりでら)とも言われました。ちなみに現在は、カモ・サギなども鏡容池の畔で羽を休めたりしています。
霧島ツツジ(霧島躑躅)はツツジ科ツツジ属の常緑低木です。霧島ツツジは鹿児島に野生するサタツツジ(佐田躑躅)とヤマツツジ(山躑躅)を主とし、ミヤマキリシマ(深山霧島)が加わった交配種とも言われています。江戸時代前期に薩摩(鹿児島)から大坂、そして京都・江戸(東京)に広まり、江戸時代末期から欧米に輸出されました。霧島ツツジは樹高が60センチ~90センチで、葉は広い楕円形です。霧島ツツジは春に小枝の先に紅色の漏斗状の花を数個つけます。
平戸ツツジ(平戸躑躅)はツツジ科の常緑低木です。平戸(長崎県北部)は古くから遣隋使・遣唐使などの寄港地として利用され、交通・交易の中心地であったことからケラマツツジ(沖縄諸島原産)を主な親とし、キシツツジ(西部日本原産)・リュウキュウツツジ(沖縄諸島原産)・モチツツジ(中部日本原産)・タイワンヤマツツジ(台湾原産)などと自然交雑し、大輪の平戸ツツジが生まれたと言われています。平戸ツツジは樹高1~2メートルで、花冠が大きく、白・桃・紅・赤・朱・紫色など多彩な花を咲かせます。
西源院は室町幕府管領・細川勝元が徳大寺家から寺地を得て、清源庵を建てた後に場所を移したのが起源とも、室町時代後期の1489年(延徳元年)に管領・細川政元が特芳禅傑を請じて創建したのが起源とも言われています。
●龍安寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
龍安寺歴史(細川勝元・細川政元)
●龍安寺の見どころ(石庭・方丈など)を紹介しています。
龍安寺見どころ(石庭・方丈など)

【龍安寺 歴史・簡単概要】
龍安寺(りょうあんじ)・竜安寺は平安時代中期の984年(永観元年)に創建され、四円寺(円教寺・円乗寺・円宗寺)に数えられた第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の御願寺(ごがんじ)・円融寺があった場所です。四円寺はいずれも真言宗御室派の総本山・仁和寺(にんなじ)の子院として創建されました。またその後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ)を創建した場所です。龍安寺は室町時代中期の1450年(宝徳2年)に室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山として創建しました。しかし細川勝元が東軍総大将になった応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失し、1488年(長享2年)に細川勝元の子・細川政元(ほそかわまさもと)が中興の祖・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)とともに再興し、方丈が再建・石庭が作庭されたと言われています。龍安寺には細川勝元夫妻と細川政元の墓が残されています。
龍安寺は臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺の塔頭です。
*参考・・・龍安寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【龍安寺ツツジ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
龍安寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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