龍安寺侘助椿・龍安寺見どころ

龍安寺侘助椿

●龍安寺侘助椿は樹齢400年以上で、日本最古とも言われています。龍安寺侘助椿は例年3月上旬頃から4月上旬頃に見ごろを迎えます。龍安寺侘助椿は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が賞賛したとも言われています。なお侘助椿は安土桃山時代に侘助という者が朝鮮半島から持ち帰り、侘び寂びを感じさせることから千利休(せんのりきゅう)などの茶人に愛されたとも言われています。
侘助椿は葉が細く、花が一重で小さく、半開状に咲きます。侘助椿には白・桃・紅色などがあります。侘助椿は茶人に好まれ、茶花や庭木になっています。
椿はツバキ科ツバキ属の常緑樹です。椿は日本原産で、北海道などを除く日本各地に分布しています。椿は日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・奈良時代末期成立」に9首見られ、近世に茶花として好まれ、多くの園芸品種が作られました。500以上の園芸品種があるそうです。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、平安時代に長寿・招福・吉兆の木とされていたそうです。
豊臣秀吉は戦国時代(室町時代後期)の1537年(天文6年)3月17日(旧暦2月6日)に織田信長(おだのぶなが)の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院(てんずいいん))の間に生まれました。尾張国愛知郡中村郷中中村(名古屋市中村区)で生まれたとも言われています。先ず今川氏の家来で、引馬城(ひくまじょう)の支城・頭陀寺城(ずだじじょう)城主・松下之綱(まつしたゆきつな)に仕え、1554年(天文23年)頃から戦国大名・織田信長(おだのぶなが)に仕えました。1561年(永禄4年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後数々の戦功を重ねて頭角を現し、1573年(天正元年)に浅井氏が滅亡すると長浜城(ながはまじょう)城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変(ほんのうじのへん)後、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を破り、京都の支配権を掌握しました。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)で柴田勝家(しばたかついえ)を破りました。その後四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。ちなみに1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。その後唐入りを目指し、1592年(天正20年)から文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)が始まりました。なお豊臣秀吉は1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。
龍安寺見どころ

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