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相楽神社本殿・相楽神社見所(修学旅行・観光)
相楽神社本殿
●相楽神社本殿は1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財に指定されました。
●相楽神社本殿は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されました。相楽神社は誉田別命(ほむだわけのみこと)・足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)を祀っています。
誉田別命は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)のことです。第15代・応神天皇は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と后・神功皇后(じんぐうこうごう)の第4皇子です。200年(仲哀天皇9年)に三韓征伐(さんかんせいばつ・新羅征伐(しらきせいばつ))の帰途に神功皇后が生んだとされています。胎中天皇(たいちゅうてんのう)とされ、いずれも異母兄であるかご坂皇子(かごさかのおうじ)・忍熊皇子(おしくまのおうじ)が叛乱を起こしたが、神功皇后が鎮圧して排除しました。203年(神功皇后摂政3年)に立太子(りったいし)し、270年(応神天皇元年)に天皇に即位しました。在位中に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展し、巨大な陵墓が天皇の権力の強大さを示していると言われています。在位中に朝鮮半島から阿直岐(あちき)・弓月君(ゆづきのきみ)・王仁(わに)・阿知使主(あちのおみ)らが渡来し、養蚕・織物・灌漑・治水技術などをもたらしました。第15代・応神天皇は310年(応神天皇41年)に111歳で崩御したとも言われています。なお応神天皇は八幡神(はちまんしん)と同一とされています。奈良時代以降の神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも言われました。八幡神は清和源氏(せいわげんじ)・桓武平氏(かんむへいし)などの武家から武運の神(武神)として崇敬されました。
足仲津彦命は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)のことです。第14代・仲哀天皇は第12代・景行天皇(けいこうてんのう)の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子です。178年(成務天皇48年)に立太子(りったいし)し、190年(成務天皇60年)に13代・成務天皇(せいむてんのう)が崩御し、192年(仲哀天皇元年)に第14代・仲哀天皇に即位し、193年(仲哀天皇2年)に気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后(じんぐうこうごう))を皇后としました。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると筑紫(福岡県)・橿日宮(かしいのみや)で熊襲(くまそ)を討つことを協議した際に神功皇后に神がかり、熊襲よりも新羅(しらぎ)を先に討つことを託宣(たくせん)したが、仲哀天皇は託宣を信ぜず、熊襲に敗れて更に病気になり、200年(仲哀天皇9年)に52歳で崩御したとも言われています。ちなみに熊襲の矢に当たったともされています。
息長帯比売命は神功皇后(じんぐうこうごう)のことです。神功皇后は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)の生母です。ちなみに神功皇后はお腹に月延石(つきのべいし・鎮懐石(ちんかいせき))を当てて晒(さらし)を巻き、冷やすことによって出産を遅らせ、第15代・応神天皇を生んだとされています。第15代・応神天皇の出産後、第14代・仲哀天皇の長男・次男であるかご坂皇子(かごさかのおうじ)・忍熊皇子(おしくまのおうじ)が叛乱を起こしたが、神功皇后は鎮圧して排除しました。神功皇后は200年(仲哀天皇9年)の第14代・仲哀天皇の死後、201年(神功元年)から269年(神功69年)まで摂政(せっしょう)として、三韓征伐などの政事(せいじ)を行い、100歳で亡くなったとも言われています。
●相楽神社本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は身舎(もや)正面の蟇股(かえるまた)の藤唐草(ふじからくさ)・透彫(すかしぼり)の欄間(らんま)・妻飾り(つまかざり)の組み物など細工や彫刻が施されています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
相楽神社