西院春日神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
西院春日神社の歴史を時代別年表で紹介。
西院春日神社の歴史は833年(天長10年)に淳和天皇が退位し、離宮・淳和院に居を移す際、勅諚によって奈良・春日大社の春日四座大神(建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神)を勧請し、守護神としたのが起源です。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【奈良・春日大社】
★奈良・春日大社は奈良時代(710年~794年)頃、約1,300年前に常陸国(茨城)・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請(かんじょう)したのが起源とも言われています。また春日大社は「古社記」によると768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅命により、鹿島神宮の武甕槌命、下総国(千葉)・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)、河内国(大阪)・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を祀る本殿を建立したのが起源とも言われています。
【西院春日神社の起源・始まり】
★西院春日神社は平安時代前期の833年(天長10年)2月28日に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)が第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)に譲位して退位し、離宮・淳和院(西院)に居を移す際、勅諚によって奈良・春日大社(かすがたいしゃ)の春日四座大神(建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いわひぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ))を勧請し、守護神としたのが起源です。なお西院春日神社周辺では離宮・淳和院の遺構が発掘され、規模の大きな離宮だったと言われています。淳和院は四条大路(四条通)北側、道祖大路(佐井通)東側で、南北約516メートル・東西約252メートルあったとも言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★平安時代前期に淳和天皇の皇女・崇子内親王(たかこないしんのう)が天然痘(てんねんとう・疱瘡(ほうそ))に罹った際、霊石・疱瘡石に祈願したところ天然痘が平癒したとも言われています。崇子内親王の平癒以来、西院春日神社は皇室から病気平癒や災難厄除けの守護の神と崇められてまいりました。なお疱瘡石は京都で疫病が流行る前に必ず表面が濡れたとも言われています。
★838年(承和5年)7月に第54代・仁明天皇から祈祷を命じられました。
★874年(貞観16年)に離宮・淳和院(西院)が火災になった際、類焼を免れて無事に帰ることができ、淳和天皇の后・正子皇后が「無事還り来るは是れまったく神の加護である」と言ったという故事が末社・還来神社(もどろきじんじゃ)に残されています。還来神社は祭神・還来大神を祀り、旅行安全のご利益があるとされ、太平洋戦争中に出征兵士の無事帰還を願う祈願者がたくさん訪れました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★1774年(安永3年)7月に第118代・後桃園天皇(ごももぞのてんのう)から祈祷を命じられました。
★1800年(寛政12年)2月に第120代・仁孝天皇(にんこうてんのう)から祈祷を命じられました。なお境内には仁孝天皇御胞衣塚(おえなづか)があり、安産・幼児守護のご利益があるとも言われています。
★1830年(天保元年)12月に敏宮(としのみや)から祈祷を命じられました。
★1846年(弘化3年)閏5月に和宮(かずのみや)から祈祷を命じられました。
★1866年(慶応2年)12月に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)から祈祷を命じられました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★1873年(明治6年)に西院小学校が境内に開校しました。
★1928年(昭和3年)に招魂碑が境内に建立されました。招魂碑は1901年(明治34年)に京福西院駅付近に建てられていたものです。
★1984年(昭和59年)に西大路福社ご利益めぐりの一社になりました。
【西院春日神社の創建者とされる第53代・淳和天皇】
第53代・淳和天皇は786年(延暦5年)に第50代・桓武天皇と藤原旅子の間に生まれました。第51代・平城天皇、第52代・嵯峨天皇の異母弟で、桓武天皇の第3皇子でした。幼少の頃に生母が亡くなり、798年(延暦17年)に元服し、その後三品式部卿になったと言われています。806年(延暦25年)に父・桓武天皇が崩御し、異母兄・平城天皇が即位すると臣籍降下を願い出たが、平城天皇に却下されました。薬子の変で平城上皇の子・高岳親王が皇太子を廃されると異母兄・嵯峨天皇の皇太弟として立太子されました。823年(弘仁14年)に嵯峨天皇から譲位され、第53代・淳和天皇に即位しました。即位後に令制の再建に務め、令の解釈を統一する「令義解」を編纂したり、良吏を登用し、勘解由使を復活させました。詩文に長じ、「凌雲集」・「経国集」などを残しました。835年(承和2年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が亡くなった際、高野山に送った弔書が哀切に満ちた文章として知られています。833年(天長10年)に第54代・仁明天皇に譲位し、離宮・淳和院(西院)に移りました。なお第53代・淳和天皇は840年(承和7年)に崩御しました。
【西院春日神社 備考】
*参考・・・西院春日神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ