西翁院茶室・西翁院見どころ(修学旅行・観光)

西翁院茶室

●西翁院茶室は1941年(昭和16年)5月8日に国の重要文化財に指定されました。
●西翁院茶室は江戸時代中期の貞享年間(1684年~1687年)に千宗旦(せんのそうたん)の直弟子で、宗旦四天王(そうたんしてんのう)に数えられた庸軒流茶道の開祖・藤村庸軒が建てました。茶室はかつて南面の窓から淀川が見えたことから澱看席(よどみのせき)と言われています。また茶室は金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の山号・紫雲山(しうんざん)に因んで、正式には紫雲庵(しうんあん)と称しています。更に藤村庸軒の別号から反古庵(はんごあん)とも称しています。
藤村庸軒は江戸時代前期の1613年(慶長18年)に表千家(おもてせんけ)久田流家(ひさだけ)初代・久田宗栄(ひさだそうえい)の次男として生まれました。その後呉服商十二屋(じゅうにや)の藤村家に養子に入ったとも言われています。2代・薮内紹智(やぶのうちじょうち)に茶の湯を学び、遠州流の祖・小堀遠州(こぼりえんしゅう)や宗和流茶道の祖・金森宗和(かなもりそうわ)からも教えを受け、その後宗旦流(三千家)の祖・千宗旦(せんのそうたん)から台子(だいす)伝授を許され、山田宗へん(やまだそうへん)・杉木普斎(すぎきふさい)・久須見疎安(くすみそあん)とともに宗旦四天王(そうたんしてんのう)に数えられ、「茶伯子(ちゃはくじ)」とも言われました。また三宅亡羊(みやけぼうよう)・山崎闇斎(やまざきあんさい)に儒学も学び、漢詩も残しています。藤村庸軒は京都市西洞院下立売(にしのとういんしもたちうり)の居宅に反古庵(はんごあん)、近江堅田(滋賀県大津市)の居初(いぞめ)邸に天然図画亭(てんねんずえ)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の塔頭・西翁院(おういん)に澱看席(よどみのせき)を建て、天然図画亭・澱看席が残されています。女婿・久須見疎安が藤村庸軒のが口述をまとめた「茶話指月集(ちゃわしげつしゅう)」や藤村庸軒没後にまとめられた「庸軒詩集」などがあります。なお藤村庸軒は江戸時代中期の1699年(元禄12年)10月10日に亡くなりました。
●西翁院茶室は三畳茶室と勝手口(かってぐち)脇袋棚(ふくろだな)から構成されています。茶室は切妻造(きりづまづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。茶室は正面に土庇(どびさし)付きです。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
西翁院

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