京都山科洛南の桜名所・穴場(東寺・山科疏水・醍醐寺・毘沙門堂)

京都山科洛南の桜名所・穴場
京都山科洛南の桜名所・穴場を紹介しています。山科洛南には毘沙門堂・山科疏水・大石神社・世界遺産である東寺・城南宮・世界遺産である醍醐寺・伏見桃山城運動公園などの桜名所・穴場があります。なお京都では例年3月下旬頃から4月上旬頃に桜の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や桜の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早まることが多いようです。
【京都 桜開花・満開予測】
●2025年3月27日、京都地方気象台は桜の開花を発表しました。桜は一般的に数日から1週間ほどで満開になります。(順次情報更新中)
【京都山科洛南の桜名所・穴場 基礎知識】
桜は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開(桜の見ごろ)になるとも言われています。なお桜と言うと花見を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)
【京都山科の桜名所・穴場 マップ・地図】
【毘沙門堂(びしゃもんどう)】
毘沙門堂は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後平安時代末期に荒廃したが、鎌倉時代初期に平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合寺して再興しました。しかし再び荒廃し、1665年(寛文5年)に天海大僧正とその弟子・公海大僧正が現在の場所に移して再興しました。
毘沙門堂桜見ごろ
【山科疏水(やましなそすい)】
山科疏水は滋賀県大津市の琵琶湖取水口から瀬田川を源とする宇治川までを結ぶ約20キロの第1琵琶湖疏水の一部です。琵琶湖疏水は京都府知事・北垣国道が京都近代化政策の一環として計画し、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。山科疏水は安祥寺・天智天皇陵・本圀寺などの側を流れ、四ノ宮から日ノ岡までの約4.2キロには桜並木が続き、疏水脇には遊歩道が整備されています。
山科疏水桜見ごろ
【大石神社(おおいしじんじゃ)】
大石神社は赤穂義士・大石内蔵助が隠棲した閑居跡とも言われる岩屋寺近くにあります。大石内蔵助は1701年(元禄14年)7月から1702年(元禄15年)9月まで親類・進藤源四郎の世話によって住居を構えました。大石神社は昭和初期に赤穂義士を崇拝していた浪曲師・吉田大和之丞が大石内蔵助ゆかりの山科に神社を造営することを計画したのが起源です。
大石神社桜見ごろ・大石神社桜ライトアップ
【京都洛南の桜名所・穴場 マップ・地図】
【東寺(とうじ)】
東寺は796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。その後823年(弘仁14年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が第52代・嵯峨天皇から賜り、真言密教の根本道場になりました。825年(天長2年)に講堂の建立が許され、826年(天長3年)に五重塔(塔婆)の建立を勧請しました。
東寺桜見ごろ・東寺桜ライトアップ
【城南宮(じょうなんぐう)】
城南宮は第14代・仲哀天皇の后・神功皇后による三韓征伐の際、船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神を祀った真幡寸神社が起源と言われています。794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、国土の安泰と都の守護を祈願し、国常立尊が併祀され、城南神と言われるようになりました。平安時代後期に白河上皇が鳥羽離宮を造営して離宮の一部になりました。
城南宮桜見ごろ
【醍醐寺(だいごじ)】
醍醐寺は874年(貞観16年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師・聖宝が上醍醐山上で地主・横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝観音・如意輪観音を安置したのが起源と言われています。907年(延喜7年)に第60代・醍醐天皇の御願により、薬師堂が建立されて薬師三尊が造仏され、五大堂が落成すると上醍醐の伽藍が完成しました。
醍醐寺桜見ごろ
【伏見桃山城運動公園(ふしみももやまじょううんどうこうえん)】
伏見桃山城運動公園は京都市伏見区にある運動公園です。伏見桃山城運動公園は桃山時代に関白・豊臣秀吉が築城した木幡山伏見城の花畑曲輪跡です。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に主要な建物が焼失し、江戸幕府初代将軍・徳川家康が伏見城の再建に着手したが、1619年(元和5年)の一国一城令で廃城になりましました。1964年(昭和39年)に伏見桃山城キャッスルランドが造営され、大天守・小天守が建設されました。
伏見桃山城運動公園桜見ごろ
【京都山科洛南の桜名所・穴場 備考】
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)