京都洛西の桜名所・穴場(嵐山・原谷苑・龍安寺・仁和寺)

仁和寺(Ninna-ji Temple)

京都洛西の桜名所・穴場

京都洛西の桜名所・穴場を紹介しています。洛西には嵐山・原谷苑・龍安寺・仁和寺・大覚寺・二尊院・天龍寺・退蔵院・大原野神社・善峯寺・松尾大社・梅宮大社・大河内山荘庭園・常寂光寺・宝泉寺・勝持寺・法金剛院・広沢池・佐野藤右衛門邸などの桜名所・穴場があります。なお京都では例年3月下旬頃から4月上旬頃に桜の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や桜の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早まることが多いようです。

【京都の桜開花・満開予測】
●2025年3月17日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月26日に開花、4月2日に満開になると予想しました。(順次情報更新中)

【京都洛西の桜名所・穴場 基礎知識】
桜は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開(桜の見ごろ)になるとも言われています。なお桜と言うと花見を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)

【京都桜名所・洛西 マップ・地図】

【嵐山(あらしやま)】

嵐山は渡月橋の西側、西京区にある標高約380メートルの山です。嵐山は古くから歌枕として、多くの和歌に詠まれ、平安時代には貴族の別荘地でした。なお一般的に嵐山と言う場合、山ではなく、桂川の右岸・嵐山(西京区)と桂川の左岸・嵯峨(右京区)を含めたエリアを言います。
嵐山桜見ごろ

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【原谷苑(はらだにえん)】

原谷苑は京都市北区大北山原谷にある個人所有の桜苑です。金閣寺北西約1.2キロに位置する盆地・原谷にあります。原谷は戦後に満州から引き揚げてきた人の入植地とされ、農地の開拓が始まりました。原谷苑は1957年(昭和32年)に開拓を続けることを条件に譲り受けた村岩農園が起源です。
原谷苑桜見ごろ

【龍安寺(りょうあんじ)】

龍安寺は984年(永観元年)に創建された第64代・円融天皇の御願寺・円融寺があった場所です。また藤原実能が山荘を営み、徳大寺を創建した場所です。龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領・細川勝元が徳大寺公有から山荘を譲り受け、義天玄詔を開山、玄詔の師である日峰宗舜を勧請開山として創建しました。
龍安寺桜見ごろ

【仁和寺(にんなじ)】

仁和寺は886年(仁和2年)に第58代・光孝天皇が西山御願寺を創建することを発願したのが起源です。ただ翌887年(仁和3年)に光孝天皇が崩御し、888年(仁和4年)に第59代・宇多天皇が父・光孝天皇の遺志を引き継いで創建しました。当初、西山御願寺と言われていたが、その後年号寺・仁和寺になりました。
仁和寺桜見ごろ

【大覚寺(だいかくじ)】

大覚寺は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。
大覚寺桜見ごろ

【二尊院(にそんいん)】

二尊院(にそんいん)は承和年間(834年~848年)に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が第52代・嵯峨天皇の勅によって創建したと言われています。その後荒廃し、鎌倉時代に法然上人の高弟・湛空らが再興しました。しかし応仁の乱で焼失し、1521年(永正18年)に三条西実隆が本堂などを再建しました。
二尊院桜見ごろ

【天龍寺(てんりゅうじ)】

天龍寺は承和年間(834年~848年)に第52代・嵯峨天皇の后・檀林皇后が創建した日本初の禅寺・壇林寺があった場所です。天龍寺は1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が南朝初代で、第96代・後醍醐天皇を弔う為に夢窓国師・夢窓疎石を開山として創建しました。
天龍寺桜見ごろ

【退蔵院(たいぞういん)】

退蔵院は1404年(応永11年)に越前の豪族・波多野出雲守重通が妙心寺3世・無因宗因を開山として千本通松原に創建したのが起源です。その後妙心寺4世・日峰宗舜が妙心寺内に移しましたと言われています。応仁の乱で妙心寺とともに焼失したが、1597年(慶長2年)に妙心寺34世・亀年禅愉が再建しました。
退蔵院桜見ごろ

【大原野神社(おおはらのじんじゃ)】

大原野神社は784年(延暦3年)に第50代・桓武天皇が平城京から長岡京に遷都した際、桓武天皇の后・藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日大社の分霊を勧請し、桓武天皇が鷹狩を行った大原野に祀ったの起源です。その後850年(嘉祥3年)に藤原冬嗣を祖父とする第55代・文徳天皇が社殿を建立しました。
大原野神社桜見ごろ

【善峯寺(よしみねでら)】

善峯寺は寺伝によると1029年(長元2年)に恵心僧都・源信の弟子・源算上人が自作の千手観音を小堂に安置し、阿智坂の法華院と号したのが起源と言われています。1034年(長元7年)に第68代・後一条天皇が鎮護国家の勅願所に定めて寺号・良峯寺のを賜りました。
善峯寺桜見ごろ

【松尾大社(まつのおたいしゃ)】

松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座に生活の守護神として大山咋神を祀ったのが起源とも言われています。5世紀頃に秦の始皇帝の子孫と称する秦氏が松尾山の神を秦氏一族の氏神として祀り、701年(大宝元年)に秦忌寸都理が第42代・文武天皇の勅命によって社殿を建立しました。
松尾大社桜見ごろ

【梅宮大社(うめのみやたいしゃ)】

梅宮大社は奈良時代に第30代・敏達天皇の後裔で、橘氏の祖・橘諸兄の母・県犬養三千代が橘氏一門の氏神として山城国相楽郡井出庄(京都府綴喜郡井出町)に祀ったのが起源と言われています。その後平安時代前期に第52代・嵯峨天皇の妃・檀林皇后(橘嘉智子)が現在の場所に移しました。
梅宮大社桜見ごろ

【大河内山荘庭園(おおこうちさんそうていえん)】

大河内山荘庭園は京都市右京区嵯峨にある面積約6千坪の回遊式日本庭園です。大河内山荘庭園は昭和の名優・大河内伝次郎が小倉百人一首ゆかりの小倉山などの嵯峨野・嵐山の雄大な風光に魅せられ、約30年の歳月を掛けて荒れ地から丹精込めて作り上げました。
大河内山荘庭園桜見ごろ

【常寂光寺(じょうじゃっこうじ)】

常寂光寺は小倉百人一首の撰者・藤原定家の小倉山荘・時雨亭があった場所と言われています。常寂光寺は慶長年間(1596年~1614年)に日蓮宗大本山本圀寺16世・日禎上人が隠棲の地として開創したのが起源と言われています。角倉了以と・角倉栄可が小倉山の麓の土地を寄進しました。
常寂光寺桜見ごろ

【宝泉寺(ほうせんじ)】

宝泉寺は1069年(延久元年)に創建されたとも言われています。また宝泉寺は1139年(保延5年)に文覚上人が真言密教の根本道場である神護寺の塔頭として創建したのが起源とも言われています。1356年(延文元年)に心蓮上人が下熊田村に移し、十一面観音を本尊として安置し、寺号を宝泉寺と改めました。
宝泉寺桜見ごろ

【勝持寺(しょうじじ)】

勝持寺は679年(白鳳8年)に修験道の祖である役行者・役小角が第40代・天武天皇の勅によって創建したのが起源と言われています。791年(延暦10年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が第50代・桓武天皇の勅によって伽羅を再建し、自ら刻んだ薬師瑠璃光如来を安置し、小塩山大原寺と称したと言われています。
勝持寺桜見ごろ

【法金剛院(ほうこんごういん)】

法金剛院は平安時代初期に清原夏野の山荘があった場所です。法金剛院は837年(承和4年)の清原夏野の死後に山荘が寺院に改めたのが起源と言われています。858年(天安2年)に第55代・文徳天皇の発願によって伽藍が整備され、天安寺に山号を改めました。
法金剛院桜見ごろ

【広沢池(ひろさわのいけ)】

広沢池は京都市右京区嵯峨広沢町にある東西南北約300メートル、周囲約1.3キロの溜池です。広沢池は秦氏が溜池として造ったとも言われています。また広沢池は989年(永祚元年)に第59代・宇多天皇の孫・寛朝僧正が第65代・花山天皇の勅願により、遍照寺を創建した際に庭池として開削されたとも言われています。
広沢池桜見ごろ

【佐野藤右衛門邸(さのとうえもんてい)】

佐野藤右衛門邸(植藤造園)は京都市右京区山越中町にあります。佐野藤右衛門は植藤造園の当主が襲名しています。植藤造園は1832年(天保3年)3月1日に創業し、代々植木職人として仁和寺に仕えました。第14代・佐野藤右衛門は明治から日本各地の滅び行く桜を憂って名桜の保存に努めました。
佐野藤右衛門邸桜見ごろ

【京都洛西の桜名所・穴場 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る