京都桜名所・洛西(原谷苑・仁和寺・・・)

仁和寺(Ninna-ji Temple)

洛西桜名所

京都桜名所・洛西(寺院・神社など)を紹介しています。京都では例年3月下旬頃から4月上旬頃に桜の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や桜の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早まることが多いようです。

【京都 桜開花・満開予測2023】
●2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。(順次情報更新中)

【京都桜名所・洛西 マップ・地図】

【京都桜名所・洛西 基礎知識】
桜は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開(桜の見ごろ)になるとも言われています。なお桜と言うと花見を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)

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原谷苑・・・4月中旬頃
龍安寺・・・4月上旬頃
仁和寺・・・4月中旬頃
嵐山・・・3月下旬~4月上旬頃
大覚寺・・・4月上旬頃
二尊院・・・4月上旬頃
天龍寺・・・4月上旬頃
妙心寺退蔵院・・・4月上旬頃
大原野神社・・・4月上旬頃
善峯寺・・・4月上旬~中旬頃

【京都桜名所・洛西 原谷苑】
原谷苑(はらだにえん)・青山荘(せいざんそう)には約4千坪の桜苑・紅葉苑などがあり、桜苑はしだれ桜の名所として知られています。原谷苑がある原谷は金閣寺の北西約1.2キロにあり、四方を山に囲まれた盆地です。原谷は第二次大戦後に満州からの在外日本人の入植地となり、開拓が始まりました。原谷苑も開拓を続けることを条件に譲り受けた村岩農園が起源です。
原谷苑

【京都桜名所・洛西 龍安寺】
龍安寺(りょうあんじ)は983年(天元6年)円融天皇が建立した四円寺のひとつだった御願寺・円融寺があった場所です。その後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)が山荘を営み、徳大寺を建立しました。1450年(宝徳2年)室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山として創建しました。
龍安寺

【京都桜名所・洛西 仁和寺】
仁和寺(にんなじ)は886年(仁和2年)に第58代・光孝天皇が西山御願寺を創建することを発願したのが起源です。しかし翌887年(仁和3年)に光孝天皇が完成を見ずに崩御し、888年(仁和4年)に第59代・宇多天皇が父・光孝天皇の遺志を引き継いで創建しました。仁和寺は当初西山御願寺と言われていたが、その後年号寺・仁和寺になりました。897年(寛平9年)宇多天皇は醍醐天皇に譲位し、東寺一長者・益信(やくしん)を戒師として落髪し、仁和寺1世になりました。
仁和寺

【京都桜名所・洛西 嵐山】
嵐山(あらしやま)は渡月橋(とげつきょう)の西、西京区にある標高約380メートルの山です。ただ一般的に嵐山と言う場合、桂川の右岸・嵐山(西京区)だけでなく、桂川の左岸・嵯峨(右京区)を含めて嵐山と言われることが多い。なお嵐山は古くから歌枕として、多くの歌に詠まれ、平安時代には貴族の別荘地でした。
嵐山

【京都桜名所・洛西 大覚寺】
大覚寺(だいかくじ)は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。嵯峨院では真言宗の開祖である弘法大師・空海が嵯峨天皇の信任を得て、空海が自ら刻んだと言われている五大明王を安置する堂を建立して修法を行いました。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。
大覚寺

【京都桜名所・洛西 二尊院】
二尊院(にそんいん)は承和年間(834年~848年)に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が第52代・嵯峨天皇の勅によって創建したと言われています。その後荒廃したが、鎌倉時代初期に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の高弟・湛空 (たんくう)らが再興しました。しかし応仁の乱の兵火によって焼失し、1521年(永正18年)三条西実隆(さんじょうにしさねたか)が本堂・唐門を再建しました。
二尊院

【京都桜名所・洛西 天龍寺】
天龍寺(てんりゅうじ)は承和年間に嵯峨天皇の檀林皇后が創建した日本最初の禅寺・壇林寺(だんりんじ)があった場所です。その後醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王(さきのちゅうしょおうかねあきらしんのう)の亀山の山荘、嵯峨上皇の仙洞御所、亀山上皇の離宮・亀山殿が造営されました。1335年(建武2年)南朝初代・後醍醐天皇が亀山殿内に臨川寺(りんせんじ)を建立し、1339年(延元4年・暦応2年)室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為に夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、天龍寺を創建しました。
天龍寺

【京都桜名所・洛西 退蔵院】
退蔵院(たいぞういん)は1404年(応永11年)に越前の豪族・波多野出雲守重通(はたのいずものかみしげみち)が妙心寺第3世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建したのが起源です。その後妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)が妙心寺内の霊雲院の東に移しましたと言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって妙心寺とともに炎上したが、1597年(慶長2年)妙心寺34世・亀年禅愉(きねんぜんゆ)が再建しました。
退蔵院

【京都桜名所・洛西 大原野神社】
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は784年(延暦3年)桓武天皇が平城京から長岡京に遷都した際、桓武天皇の后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請し、桓武天皇が鷹狩を行った大原野に祀ったの起源です。その後850年(嘉祥3年)左大臣・藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)を祖父とする文徳天皇が社殿を造営しました。なお藤原氏では女の子が生まれると中宮や皇后になれるように大原野神社に祈願し、祈願が叶うと行列を整えて参拝することが恒例になっていたそうです。
大原野神社

【京都桜名所・洛西 善峯寺】
善峯寺(よしみねでら)・善峰寺は寺伝によると1029年(長元2年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の弟子・源算上人(げんさんしょうにん)が自作の千手観音を小堂に安置し、阿智坂の法華院と号したのが起源と言われています。1034年(長元7年)に第68代・後一条天皇が鎮護国家の勅願所に定めて寺号・良峯寺のを賜り、1042年(長久3年)に第69代・後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の千手観音が本尊として移されました。1192年(建久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)直筆の寺額・善峯寺を賜ったことから名称を改めました。その後青蓮院(しょうれんいん)から法親王が入山し、西山門跡と言われるようになりました。
善峯寺

【京都桜名所・洛西 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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