京都桜名所・洛東(哲学の道・清水寺・・・)

清水寺

京都桜名所・洛東

京都桜名所・洛東(寺院・神社など)を紹介しています。京都では例年3月下旬頃から4月上旬頃に桜の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や桜の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早まることが多いようです。

【京都の桜開花・満開予測】
●2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。(順次情報更新中)

【京都桜名所・洛東 マップ・地図】

【京都桜名所・洛東 基礎知識】
桜は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開(桜の見ごろ)になるとも言われています。なお桜と言うと花見を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)

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哲学の道・・・4月上旬頃
真如堂・・・4月上旬頃
金戒光明寺・・・4月上旬頃
南禅寺・・・4月上旬頃
平安神宮・・・4月上旬頃
蹴上インクライン・・・3月下旬~4月上旬頃
岡崎疏水・・・4月上旬頃
円山公園・・・4月上旬頃
高台寺・・・4月上旬頃
清水寺・・・4月上旬頃
地主神社・・・4月上旬頃
雲龍院・・・4月上旬頃

【京都桜名所・洛東 哲学の道】
哲学の道(てつがくのみち)は琵琶湖疏水沿いに銀閣寺付近から若王子神社に続く約1.8キロの道で、京都市内で唯一「日本の道100選」に選ばれています。明治時代には文人が多く住み、「文人の道」と言われていたが、その後哲学者・西田幾多郎や田辺元などが散策するようになり、「哲学の小径」・「散策の道」・「思索の道」・「疏水の小径」などと言われるようになりました。なお「哲学の道」と言われるようになったのは保存活動が始まった1972年(昭和47年)以降です。
哲学の道

【京都桜名所・洛東 真如堂】
真如堂(しんにょどう)・真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は984年(永観2年)比叡山の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)が夢告により、比叡山・常行堂の本尊・阿弥陀如来(慈覚大師作)を東三条院・藤原詮子の女院離宮に安置したのが起源です。その後一条天皇の勅願寺となり、不断念仏の道場として、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)や浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)などの念仏行者や民衆から信仰されました。
真如堂

【京都桜名所・洛東 金戒光明寺】
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が比叡山黒谷を下り、草庵を最初に結んだのが起源と言われています。金戒光明寺は浄土宗最初の寺院で、当初白河の禅房とも言われていたそうです。法然上人は43歳の時に浄土宗を広める為に比叡山黒谷を下り、山頂の石の上で念仏を唱えた時、紫雲が全山にみなぎり、光明が辺りを照らしたことから草庵を結んだと言われ、紫雲山光明寺の名称の由来になっています。
金戒光明寺

【京都桜名所・洛東 南禅寺】
南禅寺(なんぜんじ)は1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇が造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった場所です。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇(第90代・亀山天皇)が東福寺第3世住持であった大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。無関普門は禅林寺殿に夜な夜な出没し、亀山法皇を悩ませた妖怪変化を弟子とともに静かに座禅するだけで退散させたとも言われています。なお南禅寺は南北朝時代以降に隆盛を極め、京都五山及び鎌倉五山の上に置かれ、別格扱いの「五山之上」に列せられました。
南禅寺

【京都桜名所・洛東 平安神宮】
平安神宮(へいあんじんぐう)は1895年(明治28年)3月15日に平安京遷都1,100年を記念して行われた内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の宮城である大内裏(だいだいり)の一部を復元して創建されました。平安神宮は当初かつての大内裏があった千本丸太町に計画されたが、用地買収に失敗し、現在の岡崎に実物の8分の5の規模で復元されました。1895年(明治28年)には平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を盛大に奉祝する為、時代祭(じだいまつり)が始まりました。
平安神宮

【京都桜名所・洛東 蹴上インクライン】
蹴上インクライン(けあげいんくらいん)は滋賀大津から京都宇治川まで流れる約20キロの琵琶湖疏水の中に設けられたインクライン(傾斜鉄道)2ヶ所の内の1ヶ所です。蹴上インクラインは傾斜がきつい南禅寺舟溜から蹴上舟溜を繋ぐ為に造られました。全長約581.8メートルで、世界最長のインクラインとも言われています。蹴上インクラインは1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで使われたが、その後休止になりました。1973年(昭和48年)以降にレールも撤去されたが、1977年(昭和52年)にレールが復元されました。
蹴上インクライン

【京都桜名所・洛東 岡崎疏水】
岡崎疏水(おかざきそすい)は滋賀大津から京都宇治川まで流れる約20キロの琵琶湖疏水の一部です。岡崎疏水は南禅寺舟溜(琵琶湖疏水記念館前)から夷川ダム(えびすがわだむ)までの約1.5キロを言います。岡崎疏水では桜が開花する3月下旬頃から5月上旬頃まで岡崎桜回廊十石舟めぐりが期間限定で運航されています。十石舟は約1.5キロの岡崎疏水を約25分で往復します。
岡崎疏水岡崎疏水桜ライトアップ

【京都桜名所・洛東 円山公園】
円山公園(まるやまこうえん)・圓山公園はかつて八坂神社(やさかじんじゃ)の社地・安養寺(あんようじ)の寺地の一部でした。しかし1871年(明治4年)の上知令(じょうちれい・あげちれい)により、社地・寺地が政府に没収され、1886年(明治19年)に公園になりました。その後1887年(明治20年)に政府から京都市へ移管され、京都市初の都市公園になり、音楽堂・料亭・茶店などが整備されました。
円山公園円山公園桜ライトアップかがり火

【京都桜名所・洛東 高台寺】
高台寺(こうだいじ)は1606年(慶長11年)関白・豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が1598年(慶長3年)に亡くなった秀吉の菩提を弔う為、弓箴善彊(きゅうしんぜんきょう)を開山として創建しました。北政所は当初実母・朝日局(吉子)が弔われている菩提寺・康徳寺に弔うとしたが、手狭だったことから岩栖院(がんせいいん)を移転させ、康徳寺を移して新たに高台寺を創建しました。高台寺の名称は北政所の落飾(仏門に入る)後の1603年(慶長8年)に後陽成天皇から賜った院号・高台院湖月尼に由来しています。
高台寺高台寺桜ライトアップ

【京都桜名所・洛東 清水寺】
清水寺(きよみずでら)は778年(宝亀9年)大和・興福寺の僧で、子島寺で修行していた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が「南の地を去れ」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。その後780年(宝亀11年)坂上田村麻呂が延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭され、自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音像と地蔵菩薩・毘沙門天を安置したとも言われています。
清水寺清水寺桜ライトアップ

【京都桜名所・洛東 地主神社】
地主神社(じしゅじんじゃ)は起源が明確ではありません。地主神社は社伝によると神代(かみよ)の昔、つまり日本の建国以前に造営されたと言われています。それを証明するようにアメリカの原子物理学者・ボースト博士は「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることを確認しました。970年(天禄元年)円融天皇が臨時祭を行い、以後例大祭・地主祭になりました。その後1633年(寛永10年)江戸幕府3代将軍・徳川家光が現在の社殿を再建しました。
地主神社

【京都桜名所・洛東 雲龍院】
雲龍院(うんりゅういん)は1372年(応安5年)後光厳天皇が竹巌聖皐律師(ちくがんしょうこうりっし)を開山として、菩提所に建立しました。その後応仁の乱の兵火によって焼失し、後柏原天皇から後土御門天皇の御殿を賜り、本堂が再建されました。その後江戸時代初期に如周宗師が後円融天皇に縁があり、隣接している龍華院(龍華殿)を合寺しました。
雲龍院雲龍院桜ライトアップ

【京都桜名所・洛東 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

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