三宝寺厄落としの大根焚き(日程時間・・・)
三宝寺厄落としの大根焚き
三宝寺厄落としの大根焚き(日程・時間・・・)を紹介しています。厄落としの大根焚きは例年12月の第1土曜日・日曜日に行われています。厄落としの大根焚きでは日蓮宗秘法の中風封じの祈祷が行われています。厄落としの大根焚きは大根と京豆腐有名店の油揚げが大釜で何時間も焚かれたものです。ゆず御飯を食べることもできます。(要確認)(詳細下記参照)
【三宝寺厄落としの大根焚き2019 日程時間(要確認)】
三宝寺厄落としの大根焚き2019は2019年(令和元年)11月30日(土曜日)・12月1日(日曜日)10:00~14:00まで行われます。なお11月30日10:30・11:30・12:30・13:30から祈祷が行われ、12月1日11:00から御会式法要が行われます。(なくなり次第終了)
京都大根焚き2021~2022
【三宝寺厄落としの大根焚き アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区鳴滝松本町32
最寄り駅・バス停・・・三宝寺(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮からは高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ
●2018年(平成30年)から無料送迎バスの運行がなくなりました。(要確認)
【三宝寺厄落としの大根焚き 歴史・簡単概要】
三宝寺厄落としの大根焚き(やくおとしだいこんだき)では日蓮宗秘法の中風封じの祈祷が行われています。厄落としの大根焚きは大根と京豆腐有名店の油揚げが大釜で何時間も焚かれたものです。厄落としの大根焚きではゆず御飯を食べることもできます。(要確認)ゆず御飯は日蓮聖人が冷えた体を温める良薬として、ゆずを珍重した故事に因んでいます。
御会式(おえしき)は日蓮聖人(にちれんしょうにん)を偲び讃える報恩法要です。御会式では日蓮聖人・日朗上人(にちろうしょうにん)・日像上人(にちぞうしょうにん)の御真骨が御開帳されます。
日蓮聖人は1222年(貞応元年)に安房(千葉)の漁師の子に生まれ、1233年(天福元年)に12歳で安房・清澄山の道善房の弟子になり、1237年(嘉禎3年)に16歳で出家し、1242年(仁治3年)に比叡山に上って12年間修行し、1253年(建長5年)には「南無妙法蓮華経」と題目を唱えて立教開宗しました。
ゆず御飯は北条家の御家人・南条兵衛七郎(なんじょうひょうえしちろう)の妻・上野尼御前(うえのあまごぜん)が柚子を送った際、日蓮聖人は体を温める為に柚子味噌にしたとも言われています。また大根は南条兵衛七郎の子・南条時光(なんじょうときみつ)が大根を送った際、「大根は大仏堂の大くぎのごとし あぢわいはとう利天の甘露の如し」と言ったと言われています。
中風は言語障害・手足のしびれやまひ・片まひ・半身不随などの脳血管障害の後遺症の症状を指すそうです。
【三宝寺 歴史・簡単概要】
三宝寺(さんぽうじ)・三寳寺・鳴滝の妙見さんは江戸時代前期の1628年(寛永5年)に右大臣・菊亭経季(きくていつねすえ・今出川経季)と中納言・今城為尚(いましろためひさ・冷泉為尚)が第108代・後水尾天皇の内旨により、中正院日護上人(ちゅうしょうにんにちごしょうにん)を開山として創建し、両家の菩提寺にしたのが起源です。1631年(寛永8年)に第108代・後水尾天皇から号「金映山妙護国院三寳寺」を賜りました。宝暦年間(1751年~1764年)に菊亭家邸内から御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)が根分けされて移植されました。三宝寺は大いに栄えて塔頭(たちゅう)寺院が12ヶ寺を数えたが、その後江戸時代末期に荒廃しました。1929年(昭和4年)の第124代・昭和天皇の即位式の建物を移して本堂が再建されました。また1981年(昭和56年)の日蓮聖人七百遠忌の際に増改築・修理が行われました。なお三宝寺は洛陽十二支妙見めぐりの11番札所の戌(西北西)になります。
三宝寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・三宝寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【三宝寺厄落としの大根焚き 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
三宝寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報