右大臣・一条実良(いちじょうさねよし)と祇園祭

右大臣・一条実良と祇園祭

右大臣・一条実良は函谷鉾の稚児人形・嘉多丸のモデルになっています。函谷鉾は1788年(天明8年)に天明の大火に見舞われ、1838年(天保9年)に幕府から山鉾巡行に参加するように命じられ、白木の函谷鉾を再興させました。ただ稚児を搭乗させる費用の捻出が難しくなり、稚児人形を搭乗させる願いを幕府に出し、その後許可されました。

【祇園祭2027 日程】
祇園祭2027は2027年(令和9年)7月1日(木曜日)の吉符入から2027年(令和9年)7月31日(土曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2027日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【右大臣・一条実良(いちじょうさねよし)】
右大臣・一条実良は函谷鉾(かんこほこ)の稚児人形・嘉多丸(かたまる)のモデルになっています。函谷鉾では「嘉多丸君」と呼んでいます。祇園祭ではかつて船鉾(ふねほこ)・大船鉾(おおふねほこ)を除く、大型の鉾(函谷鉾・長刀鉾(なぎなたほこ)・菊水鉾(きくすいほこ)・鶏鉾(にわとりほこ)・月鉾(つきほこ)・放下鉾(ほうかほこ))に生身の子供である生稚児(いきちご)が搭乗していたが、現在は長刀鉾を除いて稚児は稚児人形に代わりました。なお嘉多丸は背丈約1メートルで、現在は西陣織開館から寄贈された衣装を身に着けています。
函谷鉾は1788年(天明8年)1月の天明の大火により、一部の懸装品(けそうひん)を除き、菊水鉾・船鉾などの多くの山鉾とともに焼失しました。ちなみにその年の山鉾巡行では前祭が7基、後祭が6基だけが巡行しました。江戸時代後期の函谷鉾町は北側が鴻池(こうのいけ)家の屋敷、南側が松平阿波守(徳島藩蜂須賀家)の屋敷だったことから町人が少なく、函谷鉾の再興は約50年後の1839年(天保10年)になりました。1838年(天保9年)に幕府から来年の祇園祭に函谷鉾が山鉾巡行に参加するようにと命があり、なんとか白木の函谷鉾が再興されました、ただ函谷鉾町では函谷鉾の再興に多くの資金を要した為、稚児を搭乗させる費用の捻出が難しくなり、稚児の代わりに稚児人形(木偶)を搭乗させる願い(本年の処は木偶にて差出方相許)を幕府に出し、その後許可されました。かつて函谷鉾町の住人であった大仏師・七条左京に稚児人形制作を依頼したが、前例がなかったことから左大臣・一条忠香(いちじょうただか)に相談すると一条忠香の子・嘉多丸(かたまる・一条実良)をモデルとすることが許されました。そして完成した稚児人形は一条忠香によって「嘉多丸」と命名され、衣装・装飾品などが寄贈されました。ちなみに函谷鉾の囃子方は嘉多丸会と称しています。なお1863年(文久3年)に鶏鉾の稚児人形(名称不詳)、1912年(明治45年)に月鉾の稚児人形・於兎丸(おとまる・於兎麿)、1929年(昭和4年)に放下鉾の稚児人形・三光丸(さんこうまる)、1956年(昭和31年)に菊水鉾の稚児人形・菊丸(きくまる)が制作され、長刀鉾を除く大型の鉾で稚児が稚児人形に代りました。

●一条実良は1835年(天保6年)3月26日に一条家22代当主で、左大臣・一条忠香の子・嘉多丸として生まれました。第122代・明治天皇(めいじてんのう)の皇后・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の異母兄にあたります。一条家は二条家・九条家・近衛家・鷹司家とともに五摂家に数えられました。1848年(嘉永元年)に従三位に叙され、1858年(安政5年)に権大納言(ごんだいなごん)になり、1862年(文久2年)に国事御用掛(こくじごようがかり)になりました。1867年(慶応3年)に右大臣になり、同年に従一位に昇叙しました。大政奉還に関わったが、1867年(慶応3年)12月に王政復古の大号令が発せられると公武合体派だったことから参内を停止されました。一条実良は近衛忠煕の娘・近衛総子と結婚し、忠貞・良子・亨子などの子がいます。なお一条実良は1868年(慶応4年)5月16日に亡くなりました。
●函谷鉾は起源が明確ではなく、室町時代中期の応仁の乱前の山鉾と地名を記した「祗園社記」に記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。その後1788年(天明8年)に天明の大火で焼失したが、1839年(天保10年)に再興されました。函谷鉾は中国の戦国時代(紀元前403~221年)に斉の孟嘗君が鶏の声により、函谷関を無事に脱出できたという史記「鶏鳴狗盗」に由来しています。函谷鉾は高さ約24.17メートル・長さ約7.0メートル・幅約3.95メートルです。

【右大臣・一条実良と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2027日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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