三十三間堂観光マップ・地図(方広寺・豊国神社・妙法院・・・)

三十三間堂(Sanjusangen-do Temple)

三十三間堂観光マップ・地図と周辺スポット

三十三間堂観光マップ・地図では千体仏とも千手観音立像が祀られている三十三間堂周辺の観光スポットを紹介しています。三十三間堂では例年1月に通し矢(全国弓道大的大会)が行われ、京都を代表する初春の風物詩になっています。三十三間堂周辺には方広寺・豊国神社・妙法院・智積院・新熊野神社・東福寺・泉涌寺などがあります。

【三十三間堂観光マップ・地図】

【三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) 概要】

三十三間堂では例年3月に春桃会が行われ、瀬戸内寂聴さんの青空説法が行われたこともありました。三十三間堂は988年(永延2年)に藤原為光が造営した私邸があった場所で、989年(永祚元年)に藤原為光が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に法住寺を創建しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇が法住寺跡に離宮・法住寺殿を営み、三十三間堂は1165年(長寛2年)に後白河上皇が平清盛に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建されました。
京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)三十三間堂見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)

【方広寺(ほうこうじ) 概要】

方広寺は三十三間堂の北側に位置しています。方広寺では方広寺鐘銘事件で知られる梵鐘が除夜の鐘で撞かれることがあります。方広寺は1586年(天正14年)に関白・豊臣秀吉が松永久秀の焼き討ちによって焼損した東大寺・大仏に代わる大仏(盧舎那仏)の造立を発願したのが起源です。1614年(慶長19年)に「国家安康」・「君臣豊楽」を刻んだ梵鐘が完成するが、方広寺鐘銘事件となり、豊臣家滅亡の発端となりました。
方広寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【豊国神社(とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ) 概要】

豊国神社は三十三間堂の北側に位置しています。豊国神社では毎月8日・18日・28日に豊国さんのおもしろ市を行っています。豊国神社は1868年(明治元年)に明治天皇の指示により、1880年(明治13年)に方広寺大仏殿跡に社殿が完成しました。なお豊臣秀吉は死後に豊国神社に祀られていましたが、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると徳川家康の意向により、神号「豊国大明神」が剥奪され、豊国神社は取り壊されました。
豊国神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【妙法院(みょうほういん) 概要】

妙法院は三十三間堂の北東に位置しています。妙法院は三十三間堂(蓮華王院)を境外仏殿としています。妙法院は三十三間堂・方広寺・新日吉社を兼帯していたが、方広寺・新日吉社は独立し、三十三間堂だけが現在も妙法院の所属です。妙法院は比叡山三千坊と言われる比叡山上にあった坊が起源と言われ、初代門主は伝教大師・最澄とされています。
妙法院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【智積院(ちしゃくいん) 概要】

智積院は三十三間堂の東側に位置しています。智積院には全国3,000以上の寺院が属し、例年初詣の人出が多い成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院も真言宗智積院派の寺院です。智積院は南北朝時代に真憲坊長盛が創建した大伝法院(根来寺)の学頭寺院が起源と言われています。1601年(慶長6年)に玄宥僧正が徳川家康から豊臣秀吉を祀る豊国神社境内の坊舎・土地を寄進されて再興しました。
智積院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【新熊野神社(いまくまのじんじゃ) 概要】

新熊野神社は三十三間堂の南側に位置しています。新熊野神社は熊野神社・新熊若王子神社とともに平安時代の院政期に創建された「京都三熊野(みくまの)」と言われています。新熊野神社は1160年(永暦元年)に後白河上皇が離宮・法住寺殿を造営した際、平清盛・重盛父子に命じて、鎮守社として熊野の神を勧請したのが起源と言われています。
新熊野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【東福寺(とうふくじ) 概要】

東福寺は三十三間堂の南側に位置しています。東福寺には通天橋モミジがあり、京都で人気の紅葉名所になっています。紅葉の見ごろにライトアップを行うこともあります。東福寺は1236年(嘉禎2年)に摂政・九条道家が高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する寺院を創建することを発願し、仏殿を建立したのが起源です。東福寺の名称は奈良の東大寺と興福寺から1字ずつ取りました。
京都・東福寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)東福寺見どころ(三門・通天橋など)

【泉涌寺(せんにゅうじ) 概要】

泉涌寺は三十三間堂の南東に位置しています。泉涌寺には山内に後堀河天皇の陵墓が築かれ、後水尾天皇などが葬られ、「御寺(みてら)」と言われています。皇族は度々泉涌寺を訪れています。泉涌寺は天長年間に弘法大師・空海が草庵を結んだのが起源とも、855年(斉衡2年)に左大臣・藤原緒嗣が神修上人を開山として山荘を改めたのが起源とも言われています。
泉涌寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)泉涌寺見どころ(仏殿・開山堂など)

【三十三間堂観光マップ・地図 備考】
マップ・地図ではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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