三十三間堂地蔵盆法要(例年8月23日)

三十三間堂地蔵盆法要
三十三間堂地蔵盆法要(日程・時間・・・)を紹介しています。地蔵盆法要は例年8月23日に行われています。地蔵盆法要・菓子供養は地蔵菩薩の縁日に行われます。ちなみに三十三間堂では夜泣せんの近くに地蔵尊が祀られています。地蔵尊はよだれかけを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが直るとも言われています。
【三十三間堂地蔵盆法要 日程時間(要確認)】
三十三間堂地蔵盆法要は例年8月23日に行われます。
【三十三間堂地蔵盆法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩すぐ)、東山七条(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から三十三間堂は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約5分)
【三十三間堂地蔵盆法要 歴史・簡単概要】
三十三間堂地蔵盆法要(じぞうぼんほよう)・菓子供養は地蔵菩薩(お地蔵さん)の縁日に行われます。ちなみに三十三間堂では夜泣せん(夜泣泉)の近くに地蔵尊が祀られています。地蔵尊はよだれかけを奉納祈願し、1週間後によだれかけを子どもの枕の下に敷くと夜泣きが直るとも言われています。
地蔵盆は毎月24日に行われる地蔵菩薩(お地蔵さん)の縁日のことです。ただ地蔵盆の内、お盆(盂蘭盆会)に近い旧暦の7月24日に行われるものを地蔵盆と言うことが多いそうです。なお24日の縁日の前日は宵縁日と言うそうです。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が入滅し、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が如来として現れるまでの無仏の期間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)の衆生を救済するとされています。地蔵菩薩は大地が全ての命を育むように苦悩する衆生を慈悲の心で救うことから名付けられたそうです。地蔵菩薩は悩み苦しむ人をもれなく救い、現世で様々なご利益を授けるとも言われています。ちなみに地蔵菩薩は日本では平安時代中期以降に信仰されるようになり、子供の守り神とされています。なお地蔵菩薩は菩薩だが、一般的に右手に錫杖(しゃくじょう)・左手に宝珠(ほうじゅ)を持った僧形をしています。
●三十三間堂の歴史(創建から現在)を紹介しています。
三十三間堂歴史(後白河天皇・後嵯峨天皇)
●三十三間堂の見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)を紹介しています。
三十三間堂見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)
【三十三間堂 歴史・簡単概要】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)・蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は平安時代の988年(永延2年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。その後989年(永祚元年)に為光が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に法住寺(ほうじゅうじ)を創建したが、1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、三十三間堂は1165年(長寛2年)に後白河上皇が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建されたのが起源です。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。その後室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修復し、関白・豊臣秀吉が東山大仏(方広寺)を建立した際、土塀や門などが整備されたと言われています。なお三十三間堂の名称は間面記法による表記「三十三間四面」に由来しています。三十三は観音に縁のある数字で、法華経などによると観音菩薩が三十三種の姿に変じ、衆生を救うと説かれています。
三十三間堂は天台宗・妙法院の境外仏堂です。
*参考・・・京都・三十三間堂(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【三十三間堂地蔵盆法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報