三十三間堂千手観音・三十三間堂見どころ

●三十三間堂千手観音は本尊・木造千手観音坐像が国宝に指定され、千体仏・木造千手観音立像(1,001躯)も国宝に指定されています。
千手観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
●三十三間堂は本尊・木造千手観音坐像を中心に千体仏・木造千手観音立像などを安置しています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれ、三十三間堂の名称の由来にもなっています。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。三十三応化身(三十三応現身像(さんじゅうさんおうげんしんぞう))は仏身(ぶっしん)・辟支仏身(びゃくしぶつしん)・声聞身(しょうもんしん)・梵王身(ぼんおうしん)・帝釈身(たいしゃくしん)・自在天身(じざいてんしん)・大自在天身(だいじざいてんしん)・天大将軍身(てんだいしょうぐんしん)・毘沙門身(びしゃもんしん)・小王身(しょうおうしん)・長者身(ちょうじゃしん)・居士身(こじしん)・宰官身(さいかんしん)・婆羅門身(ばらもんしん)・比丘身(びくしん)・比丘尼身(びくにしん)・優婆塞身(うばそくしん)・優婆夷身(うばいしん)・長者婦女身(ちょうじゃぶにょしん)・居士婦女身(こじぶにょしん)・宰官婦女身(さいかんぶにょしん)・婆羅門婦女身(ばらもんぶにょしん)・童男身(どうなんしん)・童女身(どうにょしん)・天身(てんしん)・龍身(りゅうしん)・夜叉身(やしゃしん)・乾闥婆身(けんだっぱしん)・阿修羅身(あしゅらしん)・迦楼羅身(かるらしん)・緊那羅身(きんならしん)・摩ご羅伽身(まごらがしん)・執金剛身(しゅうこんごうしん)です。
●三十三間堂木造千手観音坐像(本尊)は鎌倉時代の1254年(建長6年)に仏師・湛慶(たんけい)が82歳の時に同族の弟子を率いて造仏しました。なお木造千手観音立像(1,001躯)は平安時代から室町時代に造仏されました。ちなみに876体は鎌倉時代に造仏されました。
湛慶は平安時代末期の1173年(承安3年)に京都・七条仏所(しちじょうぶっしょ)の総帥で、慶派仏師・運慶(うんけい)の長男として生まれました。ちなみに次男・康運(こううん)、三男・康弁(こうべん)、四男・康勝(こうしょう)も湛慶と同様に慶派仏師になります。湛慶は祖父・康慶(こうけい)、父・運慶が参加した奈良・東大寺(とうだいじ)再興の造仏事業に加わり、鎌倉時代の1212年(建暦3年)に41歳で最高の僧綱位(そうごうい)である法印(ほういん)に叙せられました。1224年(貞応2年)に父・運慶が亡くなると七条仏所を率いました。湛慶は父・運慶のような豪快さに欠けるが、運慶の完成した写実様式に運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師・快慶(かいけい)の優雅な作風や宋朝様式を取り入れ、洗練された温和な表現を得意とし、手堅い表現に特徴があると言われています。なお湛慶の代表作には三十三間堂の木造千手観音坐像(国宝)や高知市・雪蹊寺(せっけいじ)の木造毘沙門天及び両脇侍立像(重要文化財)、京都市・高山寺(こうざんじ)の木造善妙神立像・白光神立像(重要文化財)などがあります。
三十三間堂見どころ

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