三十三間堂沙羅・三十三間堂見どころ

三十三間堂沙羅

●三十三間堂沙羅は1992年(平成4年)5月に後白河院(後白河法皇)800回遠忌の記念に植樹されました。沙羅は軍記物語「平家物語(へいけものがたり)・鎌倉時代成立」の有名な冒頭文に因んでいます。沙羅はツバキ科の落葉樹で、夏椿という和名があるように例年6月には椿に似た絹のような純白の花を咲かせます。なお三十三間堂には後白河法皇八百年聖忌記念碑が建立されています。
第77代・後白河天皇(後白河法皇)は1127年(大治2年)10月18日に鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇)と中宮・藤原璋子(ふじわらのしょうし)の第4皇子として生まれました。11月14日に親王宣下を受けて「雅仁」と命名され、1139年(保延5年)12月27日に元服して二品に叙せられました。1129年(大治4年)に曽祖父・白河法皇(第72代・白河天皇)が崩御すると父・鳥羽上皇が院政を開始し、藤原得子(ふじわらのとくし)を寵愛したことから第75代・崇徳天皇に譲位を迫り、1142年(永治元年)に父・鳥羽上皇と藤原得子の子である第9皇子・体仁親王(第76代・近衛天皇)が天皇に即位したが、1155年(久寿2年)に第76代・近衛天皇が崩御し、藤原得子の養子となっていた第77代・後白河天皇の第1皇子・子守仁親王(第78代・二条天皇) が即位するまでの中継ぎとして、立太子を経ないまま29歳で天皇(第77代・後白河天皇)に即位しました。第77代・後白河天皇は皇位継承がもとで起こった保元の乱(ほうげんのらん)で勝利したが、1158年(保元3年)に在位僅か3年で皇太子・子守仁親王 (第78代・二条天皇) に譲位し、第78代・二条天皇、第79代・六条天皇、第80代・高倉天皇、第81代・安徳天皇、第82代・後鳥羽天皇の5代・30余年にわたって院政を行いました。(停止・中断あり)また1169年(仁安4年)に離宮・法住寺殿で出家して法皇になりました。院政期間中には平治の乱(へいじのらん)・源平の合戦を経て、鎌倉幕府が成立しました。なお第77代・後白河天皇は鎌倉時代の1192年(建久3年)4月26日に崩御しました。
「平家物語」は鎌倉時代に成立したと言われる軍記物語です。「平家物語」は吉田兼好(よしだけんこう)が記した「徒然草(つれづれぐさ)」によると信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が作者と言われています。「平家物語」には平安時代末期の平氏の栄華と没落や武士階級の台頭などが仏教的無常観を基調に流麗な和漢混交文で描かれています。ちなみに「平家物語」は「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声 諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり 沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色 盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理ことわりを表す」から始まり、前半に平清盛(たいらのきよもり)・平重盛(たいらのしげもり)など平氏の興隆と源氏の台頭、後半に源義仲(みなもとのよしなか)の蜂起と滅亡、そして平氏の都落ちから壇ノ浦での敗戦・滅亡までが描かれています。
沙羅双樹はフタバガキ科サラノキ属の常緑高木です。沙羅双樹はお釈迦様が2本並んだ沙羅双樹の木の下で入滅したことから般涅槃(はつねはん)の象徴とされています。沙羅双樹はお釈迦様が生まれた所にあった無憂樹(むゆうじゅ)・お釈迦様が悟りを開いた所にあった菩提樹(ぼだいじゅ)とともに仏教三大聖樹とされています。沙羅双樹はインドから東南アジアに掛けて広く分布し、春に白い花を咲かせ、ジャスミンに似た香りを放ちます。なお沙羅双樹は耐寒性が弱く、日本ではツバキ科のナツツバキが代用として植えられ、沙羅双樹・沙羅などと言われています。
三十三間堂見どころ

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