三十三間堂庭園・三十三間堂見どころ

三十三間堂庭園

●三十三間堂庭園は1961年(昭和36年)に作庭家・中根金作(なかねきんさく)の監修によって作庭されました。三十三間堂庭園は芸術性を強調した鎌倉時代の作庭法によって作庭され、池畔にサクラ・サツキ・ボタン・ツバキ・ナツツバキ・スイレンなど四季の花々が植えられています。
中根金作は1917年(大正6年)8月28日に静岡県磐田郡天竜村(静岡県磐田市)に生まれました。静岡県立浜松工業学校(静岡県立浜松工業高等学校)を卒業し、一時外資系企業で図案を描いていました。その後東京高等造園学校(東京農業大学造園科学科)に入学し、1943年(昭和18年)に京都府の園芸技師に採用され、文化財保護課課長補佐などを歴任したが、自主退職しました。その後は裏千家学園茶道専門学校講師などを務めながら1966年(昭和41年)に中根庭園研究所設立しました。また大阪芸術大学学長・浪速短期大学学長なども歴任しました。中根金作は足立美術館庭園・大仙公園日本庭園・退蔵院(たいぞういん)余香苑(よこうえん)・城南宮(じょうなんぐう)楽水苑(らくすいえん)・ボストン美術館天心園・ジュロンタウン日本庭園星和園など国内外で300近い庭園を作庭し、日本造園学会賞・全オーストリア園芸協会金賞・日本公園緑地協会公園緑地北村賞などを受賞しました。また大阪市民表彰・正五位勲三等瑞宝章を授与されました。なお中根金作は1995年(平成7年)3月1日に亡くなりました。
●三十三間堂庭園は江戸時代にカキツバタ(燕子花・杜若)の名所だったと言われています。三十三間堂庭園は「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に「堂の傍らに池ありて、春の末より初夏に至り杜若咲き乱れて、濃むらさきの色、池の面に麗しく、京師の騒客、廻りの茶店に宴を催して、終日これを美賞す」と記されています。
カキツバタはアヤメ科アヤメ属の多年草です。カキツバタは葉が剣状でアヤメ・ノハナショウブに似ているが、中央の葉脈は隆起していません。カキツバタは本州の中部以北の水湿地に自生し、5月から6月に掛けて紫色の花を付けます。カキツバタは江戸時代前半に既に多くの品種が開発され、古典園芸植物に数えられていたが、江戸時代後半にハナショウブ(花菖蒲)が注目されるようになるとカキツバタはあまり注目されなくなりました。
「都名所図会」は江戸時代後期の1780年(安永9年)に刊行された地誌です。「都名所図会」は好評を博し、1787年(天明7年)に続編である「拾遺都名所図会」が刊行されました。「都名所図会」は洛中・洛外だけでなく、山城国全域の名所やあまり知られていまい隠れた名所なども記載されています。
三十三間堂見どころ

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