三千院観光マップ・地図(宝泉院・寂光院・勝林院・・・)
三千院観光マップ・地図と周辺スポット
三千院観光マップ・地図では「京都大原三千院」のフレーズで始まる歌謡曲「女ひとり」で知られる三千院周辺の観光スポットを紹介しています。三千院は青蓮院・妙法院とともに天台宗の三門跡に数えられ、一番歴史が古い寺院です。三千院周辺には勝林院・宝泉院・実光院・浄蓮華院・来迎院・出世稲荷神社・寂光院などがあります。
【三千院観光マップ・地図】
【三千院(さんぜんいん) 概要】
三千院は桜・アジサイ・紅葉の名所です。三千院は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が比叡山に延暦寺を創建し、その後延暦年間に比叡山東塔南谷の山梨の大木の下に一宇・円融房を構えたのが起源と言われています。その後度々移ったり、名称を変えたりし、1871年(明治4年)に大原の政所を本坊と定め、名称を三千院に改めました。
三千院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・三千院見どころ(往生極楽院・客殿など)
【勝林院(しょうりんいん) 概要】
勝林院は三千院の北側に位置しています。勝林院は835年(承和2年)に慈覚大師・円仁が創建しました。その後1013年(長和2年)に天台宗の僧・寂源(じゃくげん)が再興したと言われています。勝林院では1186年(文治2年)に顕真(けんしん)の招請により、法然上人と明遍などの高僧による宗論(大原問答・大原談義)が行われました。
勝林院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【宝泉院(ほうせんいん)・実光院(じっこういん) 概要】
宝泉院は三千院の北側に位置しています。宝泉院・実光院は835年(承和2年)に慈覚大師・円仁が創建した勝林院(しょうりんいん)の僧坊として創建されました。勝林院の僧坊は江戸時代には法泉坊(宝泉院)・実光坊(実光院)・理覚坊・普暁坊の4坊があったが、現在は宝泉院・実光院の2院しか残っていません。
宝泉院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・実光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【浄蓮華院(じょうれんげいん) 概要】
浄蓮華院は三千院の東南東に位置しています。浄蓮華院は通常非公開です。浄蓮華院は1109年(天仁2年)に融通念仏の祖である良忍(りょうにん)が来迎院(らいごういん)を再興した際に一緒に建立したとも言われています。良忍は「一人の念仏が万人の念仏に通じる」として、念仏を唱える者は自分だけではなく、万人の為にも唱えるようにと説きました。
浄蓮華院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【来迎院(らいごういん) 概要】
来迎院は三千院の東南東に位置しています。来迎院は天台声明(魚山声明)で知られています。来迎院は仁寿年間に慈覚大師・円仁が天台声明(てんだいしょうみょう)の道場として創建したと言われています。天台声明は慈覚大師・円仁が唐(中国)・魚山での14年間の仏教修学後に日本に伝えました。天台声明は経典などに独特の節を付け、僧侶によって唱和されるものです。
来迎院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ) 概要】
出世稲荷神社は三千院の南西に位置しています。出世稲荷神社は2012年(平成24年)に上京区から大原に移りました。出世稲荷神社は1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が聚楽第を造営した際、幼い頃から信仰していた稲荷神社を聚楽第内社に勧請したのが起源です。翌1588年(天正16年)に後陽成天皇が聚楽第に行幸した際に稲荷神社に参拝し、立身出世を遂げた豊臣秀吉に因んで、「出世稲荷」の号を授けました。
出世稲荷神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【寂光院(じゃっこういん) 概要】
寂光院は三千院の西北西に位置しています。寂光院には建礼門院徳子・は後白河法皇(第77代・後白河天皇)ゆかりの汀の桜があります。寂光院は寺伝によると594年(推古天皇2年)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔う為に建立したと言われています。1185年(寿永4年)に平家が滅亡すると平清盛の娘で、高倉天皇の中宮、そして安徳天皇の生母・建礼門院徳子が入寺し、高倉天皇・安徳天皇の菩提を弔いながら余生を送りました。
寂光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【三千院観光マップ・地図 備考】
マップ・地図ではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。