清凉寺仁王門・清凉寺見どころ

清凉寺仁王門

●清凉寺仁王門は京都府指定文化財です。
●清凉寺仁王門は江戸時代後期の1784年(天明4年)に再建されました。清凉寺仁王門は1783年(天明3年)から再建が開始され、翌1784年(天明4年)に上棟されました。1796年(寛政8年)に瓦葺工事が行われました。なお清凉寺仁王門には初層(一階)に室町時代に造仏された阿吽(あぎゅう)の仁王像、上層(二階)に十六羅漢像が安置されています。

一般的に仁王門(二王門)は仏教・寺院を守護し、仁王(におう・二王)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉(やしゃ)を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門(とうもん)に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯(らんじゅん)の一部が発見されました。なお日本では奈良時代(710年~794年)に仁王門の建立が盛んになり、飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士は仏教において天界に住む天部(てんぶ)で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)などの二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)などがあります。なお二十八部衆は千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)とされています。
金剛力士像(仁王像)は像容が上半身裸形で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としています。金剛力士像は二神一対で、口を開いた阿形は怒りの表情を表し、口を閉じた吽形は怒りを内に秘めた表情を表しているものが多くなっています。一般的に正面から見て右側の像(阿形)は左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持ち、一喝するように口を開け、左側の像(吽形)は右手の指を開き、怒気を帯びて口を結んでいます。なお「阿」はインドで使用されるブラーフミー系文字・梵字(ぼんじ)で口を開いて発する最初の音声で、仏教では物事の始まりを表します。「吽」は梵字で口を閉じて発する最後の音声で、仏教では物事の終わりを表します。
十六羅漢は仏の教えを護り、伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前です。羅漢は最高の悟りを得て、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者です。十六羅漢は方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味するそうです。十六羅漢は賓度羅跋ら惰闍(びんどらばらだじゃ)・迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)・迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)・蘇頻陀(すびんだ)・諾距羅(なこら)・跋陀羅(ばだら)・迦理迦(かりか)・伐闍羅弗多羅(ばじゃらほたら)・戍博迦(じゅばか)・半託迦(はんたか)・ら怙羅(らごら)・那迦犀那(なかさいな)・因掲陀(いんがだ)・伐那婆斯(ばなばす)・阿氏多(あじた)・注荼半託迦(ちゅだはんたか)です。
●清凉寺仁王門は三間一戸(さんげんいっこ)の二階二重門で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。清凉寺仁王門は総ケヤキ造です。
三間一戸は楼門や二重門の規模などを示します。間口(桁行(けたゆき))が三間で、中央間を戸口とした門のことです。なお三間は門柱(本柱)が4本ある門です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
清凉寺見どころ

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