誠心院の梅見ごろ2025(時期:3月上旬~中旬頃)

誠心院の梅見ごろ・アクセス・概要

誠心院の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。誠心院では平安時代中期に歌人・和泉式部が愛した白梅「軒端の梅」に因み、紅梅・白梅が植えられ、梅と本堂などの光景が美しいと言われています。梅とともに本堂脇には歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる」も建立されています。(詳細下記参照)

【誠心院の梅見ごろ(例年時期)】
誠心院の梅見ごろは例年3月上旬頃~3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)

【誠心院梅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新京極六角下る中筋町487
最寄り駅・バス停・・・河原町三条(徒歩約8分)、四条河原町(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)四、5系統(A1乗り場)三四、17系統(A2乗り場)三四、205系統(A2乗り場)三四
*四条河原町からは3系統三、32系統三、205系統三
*四条烏丸からは3系統三四、5系統三、32系統三、203系統四、207系統四
*河原町丸太町からは4系統三四、10系統三四、205系統三四
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は三条駅(徒歩約8分)、祇園四条駅(徒歩約8分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は河原町(徒歩約8分)
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は京都市役所前駅(徒歩約10分)

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【誠心院の梅見ごろ(例年時期) 概要】
誠心院は梅の名所です。誠心院の梅見ごろは例年3月上旬頃~3月中旬頃です。
誠心院では平安時代中期に歌人・和泉式部(いずみしきぶ)が愛した白梅「軒端の梅(のきばのうめ)」に因み、紅梅・白梅が植えられ、梅と本堂などの光景が美しいと言われています。誠心院ではかつて本堂前に和泉式部が愛した軒端の梅が植えられていました。梅とともに本堂脇には歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる」も建立されています。なお和泉式部は「むめの香を 君によそへて みるからに 花のをりしる 身ともなるかな」と梅を詠んでいます。和歌には「梅の香りをあなたに結び付けて眺めるから花の咲く時期を知ることができるのです」という意味だそうです。
和泉式部は平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん・女房三十六歌仙(にょうぼうさんじゅうろっかせん)に数えられています。和泉式部は生没年不詳だが、976年(貞元元年)頃に生まれ、1036年(長元9年)頃に亡くなったと言われています。和泉式部は越前守(えちぜんのかみ)・大江雅致(おおえまさむね)の娘で、第63代・冷泉天皇(れいぜいてんのう)の中宮・昌子昌子内親王(しょうしないしんのう)に仕えました。その後和泉守(いずみのかみ)・橘道貞(たちばなみちさだ)と結婚し、娘・小式部内侍(こしきぶのないし)を生んだが、その後夫・橘道貞と別居しました。第70代・後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の第3皇子・為尊親王(ためたかしんのう)やその弟で、第4皇子・敦道親王(あつみちしんのう) から求愛を受けたり、道長四天王と称された藤原保昌(ふじわらのやすまさ・平井保昌)と再婚したりしました。その恋愛遍歴から関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)からは「浮かれ女」と評されたり、「源氏物語(げんじものがたり)」の作者・紫式部(むらさきしきぶ)の「紫式部日記」には「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と記されたりしました。
梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。

●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ

【誠心院 歴史・簡単概要】
誠心院(せいしんいん・じょうしんいん)・和泉式部寺は寺伝によると平安時代中期の1027年(万寿4年)に第66代天皇・一条天皇(いちじょうてんのう)の皇后(中宮)・上東門院(じょうとうもんいん・藤原彰子(ふじわらのしょうし)が父で、関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)の勧めにより、法成寺(ほうじょうじ)の中の東北院(とうほくいん)内に寺を建立し、東北院誠心院と称したのが起源です。東北院誠心院はかつて荒神口(こうじんぐち)周辺にあり、初代住職は上東門院に仕えていた和泉式部(いずみしきぶ)で、その法名を誠心院専意法尼と言いました。鎌倉時代に小川通一条上ル誓願寺(せいがんじ)南に移転し、泉涌寺(せんにゅうじ)の末寺になりました。その後安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって現在の場所に移されました。なお1872年(明治5年)に新京極通(しんきょうごくどおり)が整備され、境内地は二分されて、山門をはじめ堂宇を失いました。
誠心院は真言宗泉涌寺派の寺院です。
*参考・・・誠心院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【誠心院梅 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
誠心院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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