千本釈迦堂本堂・千本釈迦堂見どころ

千本釈迦堂本堂

●千本釈迦堂本堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●千本釈迦堂本堂は鎌倉時代前期の1227年(安貞元年)に建立され、「安貞元年」の棟札が残っています。千本釈迦堂本堂は京都の大半を焼き尽くした室町時代の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火や江戸時代中期の1730年(享保15年)の享保の大火(西陣焼け)などから焼失を免れ、京都市内最古の建物と言われています。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
享保の大火(西陣焼け)では北側の一条通・東側の室町通・西側の北野天満宮・南側の廬山寺通に囲まれた上京西北部を中心に甚大な被害がありました。類焼町数は134町、公家屋敷は4軒、武家屋敷は1軒、寺社は67箇所、民家などは3,810軒が焼失しました。
●千本釈迦堂本堂には大工の棟梁と妻の伝承が残されています。
大工の棟梁・長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)は大切な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎて困っていました。妻・おかめ(阿亀)は斗組(ますぐみ)を用いたらと助言し、無事に本堂は建立されました。しかし妻・おかめは「女の知恵で棟梁が大仕事を成し得たと言われては夫の恥」と上棟式前に自害しました。高次は本堂の上棟式に妻・おかめの冥福と工事の無事、そして永久に本堂が守られること願い、妻・おかめに因んだ福の面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾りました。
●千本釈迦堂本堂は桁行五間・梁間六間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
千本釈迦堂見どころ

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