千本釈迦堂本堂・千本釈迦堂見所(修学旅行・観光)

千本釈迦堂本堂

●千本釈迦堂本堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●千本釈迦堂本堂は鎌倉時代前期の1220年(承久2年)に義空上人が仮堂を建立し、その後1223年(貞応2年)に起工し、1227年(安貞元年)に上棟しました。室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修理し、小屋束(こやつか)に1441年(嘉吉元年)の釘書が残されています。ちなみに千本釈迦堂は室町時代に足利将軍家から帰依され、遺教経(涅槃会・釈迦念仏)では足利将軍家や公家から聴聞がありました。その後室町時代後期の延徳年間(1489年~1492年)・戦国時代の1520年(永正17年)・安土桃山時代の1589年(天正17年)に屋根が葺き替えられ、江戸時代前期の1669年(寛文9年)~1670年(寛文10年)に大修理が行われ、末寺・北野経王堂の部材と屋根瓦を使って瓦葺に改められました。その後も何度か修理が行われ、江戸時代中期の1745年(延享15年)から再度大修理が行われ、昭和の修理前の姿になったと言われています。1951年(昭和26年)~1954年(昭和29年)に解体修理が行われ、本堂と厨子は創建当初の姿に復元されました。本堂は須弥壇(しゅみだん)にある高御座式(たかみくらしき)の厨子(ずし)に快慶(かいけい)の弟子・行快(ぎょうかい)作の像高三尺(約90センチ)の釈迦如来(しゃかにょらい)坐像が本尊(秘仏)として安置されています。釈迦如来坐像と厨子は本堂建立時に収蔵されたと言われています。
お釈迦さまは仏教の開祖で、世界四聖の一人です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
●千本釈迦堂本堂は桁行五間・梁間六間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本堂は向拝(こうはい)一間です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
千本釈迦堂

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