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泉涌寺鎮守社・泉涌寺見所(修学旅行・観光)
泉涌寺鎮守社
●泉涌寺鎮守社は京都府指定文化財です。
●泉涌寺鎮守社は「泉涌寺再興日次記」によると江戸時代前期の1668年(寛文8年)に建立されたと言われています。その後1884年(明治17年)に境内北側にある森の中に移されました。鎮守社には稲荷大明神(いなりだいみょうじん)が祀られています。
稲荷大明神は稲を象徴する穀霊神・農耕神である稲荷神(いなりのかみ・いなりしん)のことです。稲荷神はお稲荷様・お稲荷さんなどとも言われています。稲荷神は五穀を司る女神・ウカノミタマと同一視され、稲荷神社ではウカノミタマを主祭神として祀っています。ウカノミタマは「記紀(古事記・日本書紀)」に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・豊宇気毘売命(とようけびめのみこと)・保食神(うけもちのかみ)・大宣都比売神(おおげつひめのかみ)・若宇迦売神(わかうかのめのかみ)・御饌津神(みけつのかみ)などと記されています。ちなみに伏見稲荷大社は稲荷大神として、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)を祭神とする磐栄稲荷宮(いわさかいなりぐう)が祀られています。なおウカノミタマは御饌津神(みけつのかみ)とも言われ、古来「けつ」と言われていたきつね(狐)の文字が当てられ、「三狐神(御狐神)」と表されたことからキツネが稲荷神のお使い(眷族(けんぞく)・神使(しんし)・祭神の使者)になったとも言われています。
●泉涌寺鎮守社は本殿が一間社流造(ながれづくり)の銅板葺(どうばんぶき)、拝殿が桁行一間・梁行一間で、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
【泉涌寺 備考】
*参考・・・京都・泉涌寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
●泉涌寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
泉涌寺歴史(空海・藤原緒嗣・神修上人)
●泉涌寺の見どころ(仏殿・開山堂など)を紹介しています。
泉涌寺見どころ(仏殿・開山堂など)