泉涌寺泉涌水屋形・泉涌寺見どころ

泉涌寺泉涌水屋形

●泉涌寺泉涌水屋形は江戸時代前期の1668年(寛文8年)に再建されました。泉涌寺はかつて法輪寺とも、仙遊寺とも言われていたが、鎌倉時代の1218年(建保6年)に月輪大師(がちりんだいし)・俊じょう(しゅんじょう)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の家臣・宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)から寺地を寄進され、1226年(嘉禄2年)に大伽藍を建立した際、清水・泉涌水(せんにゅうすい)が涌き出し、寺号を泉涌寺に改めました。泉涌寺泉涌水屋形には鏡天井に別所如閑(べっしょにょかん)が描いた雲龍図があります。なお泉涌水は現在もこんこんと湧き出しています。
雲龍図は龍が仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)のひとつとされていることから法堂(はっとう)などの天井に描かれています。法堂は僧侶が経典の講義や説教などをする場で、雨を呼ぶ水神の龍が仏法の教えを雨のように降らすと言われています。また水神の龍が寺院を火から守るとの意味も込められていると言われています。なお八部衆は天(てん)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅伽(まごらが)です。
●泉涌寺泉涌水屋形は間口二間・奥行一間半で、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。泉涌寺泉涌水屋形は正面が桟唐戸(さんからど)で、妻入(つまいり)正面に軒唐破風(のきからはふ)、上部に弓欄間(ゆみらんま)があります。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
泉涌寺見どころ

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