泉涌寺楊貴妃観音堂・泉涌寺見どころ(修学旅行)

泉涌寺楊貴妃観音堂

●泉涌寺楊貴妃観音堂は江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)に建立されたと言われています。泉涌寺楊貴妃観音堂には像容の美しさから楊貴妃観音とも言われる聖観音(しょうかんのん・楊柳観音(ようりゅうかんのん))が六羅漢(ろくらかん)像の中央に安置されています。楊貴妃観音は鎌倉時代前期に湛海律師(たんかいりっし)が南宋(中国)から請来しました。
湛海律師は奈良で戒律を学び、泉涌寺の実質的な開山である月輪大師(がちりんだいし)・俊じょう(しゅんじょう)を師事しました。1237年(嘉禎3年)に南宋(中国)に渡り、1244年(寛元2年)から秦山・白蓮寺(びゃくれんじ)に学びました。白蓮寺に祀られていた仏舎利を拝して日本に請来を願ったが、叶わなかったことから経論数千巻・楊貴妃観音などとともに帰国しました。数年後に再度南宋(中国)に渡って白蓮寺に入り、荒廃していた白蓮寺を日本から材木を取寄せて復興し、その功によって仏舎利を与えられ、1255年(建長7年)に泉涌寺に持ち帰ったと言われています。楊貴妃観音は室町時代の日記「薩戒記(さっかいき)」によると室町時代の1425年(応永32年)に法堂(はっとう)二層上に安置されたとも言われています。
聖観音は六観音の一尊です。六観音は聖観音・千手観音(せんじゅかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
楊貴妃は奈良時代に当たる719年(開元7年)6月22日に楊玄えん(ようげんえん)の末子として永楽(山西省)に生まれたとも言われています。父・楊玄えんが亡くなると叔父・楊玄きよう(ようげんきよう)の養女になりました。735年(開元23年)に唐の第9代皇帝・玄宗(げんそう)の第18皇子・李瑁(りぼう)の妃に迎えられました。737年(開元25年)に夫・李瑁の母・武恵妃(ぶけいひ)が亡くなり、740年(開元28年)に玄宗に求められ、女冠(女道士)になって太真の号を授かりました。745年(天宝4載)に貴妃になって寵愛を一身に集め、楊一族が登用されて権勢を誇りました。又従兄弟(またいとこ)・楊国忠 (ようこくちゆう) は宰相として権力を振るいました。755年(天宝14載)の安史の乱(あんしのらん)で長安を逃れる途中、官兵に殺されました。
泉涌寺見どころ

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